ナボニドゥスの円筒形碑文ナボニドゥスの円筒形碑文(Cylinders of Nabonidus)には、バビロニアの王ナボニドゥス(治世紀元前556 - 539年)の楔形文字碑文が記されている。碑文は円筒形の粘土に記載されている。これらはシッパル出土のものや、ウル出土のもの、合わせて4つの円筒形碑文がある。
概要シッパル出土のナボニドゥスの円筒形碑文には、ナボニドゥスの長文が記されている。彼がどのようにして3つの神殿、すなわちハランの月神シンの神殿、シッパルの戦いの女神アヌニトゥの神殿、そしてシッパルのシャマシュの神殿を修復したかについて、である。[1] ウル出土のナボニドゥスの円筒形碑文はエ・ルガル・ガルガ・シサ(E-lugal-galga-sisaの暫定訳)と呼ばれるジッグラトの基礎的記述を含んでいる。それは、ウルの月神シンの神殿に属する文書でもある。ナボニドゥスは文書の中で、いかにして彼が神像を修復したかについて描写する。それはもしかしたら王の最後の碑文かもしれない。紀元前540年のものと推定される。記載されている文章は興味深い。なぜなら月神シン、マルドゥク神、ナブー神が混じり合う宗教混淆が見られるからである。 ウル出土のナボニドゥスの円筒形碑文はまた、聖書のダニエル書に登場するベルシャザルという息子に言及することでも注目に値する。 発掘1854年にジョン・ジョージ・テイラーがウルのジッグラトの基礎部分で楔形文字が刻まれた4つの円筒形碑文を発見した。これらはナボニドゥスによって設置されたものである。4つの碑文は、どうやらどれも同じ碑文が記載されているようだった。 1881年に古代アッシリア学者のホルムズ・ラッサムがバビロニアのシッパル(現在はアブ・ハッバ遺跡と呼ばれる)で重要な発見をした。彼はそこで太陽の神殿を発見したのだ。彼はそこでナボニドゥスの円筒形碑文も発見した。[3]この円筒形碑文は王宮部分で発掘された。今はベルリンのペルガモン博物館にある。また、その複製がロンドンの大英博物館にある。文書はナボニドゥスが彼の治世第13年にアラビアから戻ってから書かれたものである。だが、書かれた時期はペルシア王キュロス大王との戦争が勃発する前であろう。文書の中でキュロスは「神の道具」として言及されている。 シッパル出土のナボニドゥスの円筒形碑文はそれ以前の時代の典型的な文書の写しを含み、かつ同じテーマを発展させている。より有名なものとしては、キュロスの円筒形碑文が同様の文書を含む。非常に長くて形式的な話である:怒った神が神殿を見捨てること、神と人民との和解、王に対し神殿の修復を命じたこと、王は信心深く日々の供え物を増やしたこと、などである。また、祈りの言葉も含まれている。 シッパルの円筒形碑文の翻訳シッパル出土のナボニドゥス円筒形碑文の翻訳は、ポール・アレン・ボーリューによって行われた。彼は「ナボニドゥス、バビロン王の治世 紀元前556年~539年」("The Reign of Nabonidus, King of Babylon 556-539 B.C.")の著者である。[4][5] [i.1-7] 私、ナボニドゥスは偉大な王、強い王、宇宙の王、バビロンの王にしてあまねく四方を治める王。エサギラ神殿とエジダ神殿の管理者。(月神)シンと(月の女神)ニンガルは母の胎内にいる子に対し、王となる運命を彼の定めとした。ナブー・バラッシ・イクビ[6]の息子。賢明な王子。偉大な神の崇拝者である私。 [i.8-ii.25] ハランにあるシンの神殿エフルフル、そこはいにしえの偉大な神シンの時代に、そこを住居と定めた - 彼の偉大な心は街と神殿に対して怒りに燃え、彼はメディアを盛んにし、(訳者補足:メディアにハランを攻めさせることで)神殿を破壊し、廃墟へと変えた。私の正統な治世において、神、偉大な王が、私の王権への愛ゆえに街及び神殿と和解し、哀れみを示してくださった。 私の永遠の治世の初まりにおいて、私は夢を見た。偉大なる神マルドゥクと、天国と地獄を司る月神シンが共に立っていた。マルドゥクは私に語った。「ナボニドゥス、バビロンの王よ、お前の馬にレンガを積んで運べ。エフルフル神殿を再建し、シン、偉大なる神を興せ。そして神殿の中に彼の居所を建てるのだ。」 うやうやしく私はエンリルの神、マルドゥクへ話しかけた。「あなたが私に再建を命じたその神殿は、メディア人が包囲しており、その力は強大です。」 だがマルドゥクは私に語った。「お前が言うメディア人なる者は、彼も、その国も、その王たちもやがて滅ぶであろう」 治世第3年の初め(紀元前553年夏)、神はアンシャンの王キュロスを興した[7]。彼は小さな軍隊で強大なメディアの大軍を蹴散らした。彼はメディア王アステュアゲスを捕らえ、捕虜として自分の国へ連れて行った。偉大なる神マルドゥクと、天国と地獄を司る月神シンの言葉はこのようであり、彼らの命令は取り消されることはない。私は彼らの威厳に満ちた命令を恐れた。私は不安になった。心配で、私の表情には不安が浮かぶようになった。私は怠慢ではないし、投げやりでもないし、軽率でもなかった。 月神シン、私の主、私と共に歩んで下さる方のエフルフル神殿の再建のために - その神殿はハランにあり、エサルハドンの息子にしてアッシリアの王であるアッシュールバニパル、私に連なる王子が再建した神殿である - 私は上の海(注:地中海のこと)の近くにあるエジプトとの境にあるガザからユーフラテス川の別の側にある下の海(注:ペルシア湾のこと)にいたるまでの地域から、私は大軍をかき集めた。王たち、王子たち、知事たちと私の大軍を。それらは月神シン、シャマシュ、イシュタル -私の主- が私に託してくださったものである。シャマシュやアダドが占いにより教えてくれた日、そしてエアとAsalluhi(神)の知恵により教えてくれた日が最適で縁起が良い日取りということで、私はその日を選んだ。土台とレンガ工事を司るKulla神に従って行われた悪魔払いの祈とう師の業をもって、アッシュールバニパル - 彼はアッシュル・ナツィルパル(2世)の息子、シャルマナサル(3世)の基礎を見つけた者でもある - が据えた基礎の上に銀と金のビーズ、えり抜きの宝石、樹脂に富む木材、よく香るハーブ、杉の木材を並べ、喜びと歓喜に沸く中、祈とう師はその上で祈とうした。私は基礎を清め、その上にレンガを置いた。[8] 私はモルタルにビール、ワイン、油、蜂蜜を混ぜ、穴掘りの斜面にそれを塗り、聖別した。私の父祖である王たちがした以上に 私はその建物を強化し、完成させた。神殿の基礎から欄干に至るまで、私は再建して完成させた。私はレバノン産出の大杉により作られた梁を神殿の上に設置した。すがすがしい香りを放つ杉の扉を門に備え付けた。私は壁を金と銀で覆い、太陽のように輝かせた。私は礼拝堂の中に、どう猛に私の敵を襲う、輝く銀の合金でできた野牛を置いた。”日の出の門”には銀箔で覆った2体の「長髪の勇士」像を据え付けた。彼らは敵をうち破る者たちである。1体を門の左側へ、もう1体は門の右側へ置いた。私は私の主であるシン、ニンガル、ヌスク、Sadarnunnaを私の首都バビロンから列をなして導き入れた。歓喜のうちに私は彼らを快適な住居に、神殿の中央に安置させた。私は彼らの前に、神を賛美するための聖なる犠牲を捧げ、エフルフル神殿に最上の製品を捧げた。私はハランの全てを、月光のように輝く街にした。 [ii.26-43a] シンよ、天国と冥界の神々の王よ、あなたなくしてどの街もどの国も築かれることはなく、修復されることもありません。あなたが全能の象徴であるエフルフル神殿へ入るとき、この街と神殿に対する良いお言葉があなたの唇にありますように。天国と冥界に住む神々が絶えず父にして創造者であるシンの神殿を賞賛しますように。私ナボニドゥス、バビロンの王、神殿を完全に修復した者については、天国と冥界の神々の王シンよ、喜びのうちに好意のまなざしを注いでください。そして毎月、月の昇るときと沈むとき、私に対する兆しを好ましいものにしてください。私の日々を、治世を長くしてください。私の治世を確かなものにしてください。私の敵を征服してください。私の敵を滅ぼしてください。私の敵を破壊してください。ニンガル、偉大な神々の母よ、あなたの最愛のシンの前に、私のために好意をもって語ってください。シャマシュ、イシュタル - シンの子どもたちよ、好意をもって私を父にして創造主であるシンに推薦してください。ヌスクよ、恐れ多い神よ、私の祈りを聞き、私のためにとりなしてください。 [ii.43b-46] アッシリアの王アッシュールバニパルの名により書かれた碑文を私は見つけた。私はその内容を変えなかった。私は油でそれを清め、犠牲を捧げ、私の碑文と共に、元の場所に戻した。 [ii.47-iii.7] 天国と冥界の審判シャマシュには、シッパルにある彼の神殿、Ebabbar神殿(「輝く家」を意味する)がある。かつての王、ネブカドネザルが再建した。彼はかつての神殿の基礎を探したが見つけることができなかった。彼は神殿を再建した。45年後、その壁は崩れてきていた。私は悩み、恐れ、心配した。私の顔には不安が浮かぶようになった。 私がシャマシュをその神殿の中から外に出し、彼を別の聖所に安置するために連れていく一方で、私は残骸を撤去し、かつての神殿の基礎を探した。私は地面の下を18キュービットの深さまで掘り進めた。すると偉大なる主、シャマシュが私にEbabbar神殿の当初の基礎を発見させてくれた。それはシャマシュが好んだ住処である神殿である。発見された遺構は、サルゴンの息子、ナラム・シンによるものである。3200年に渡り、私の祖先のいずれの王も発見しなかったものである。 銀と金、上等の宝石、樹脂に富む木材、よく香るハーブと杉の木材を並べた上で占い、それによりシャマシュとアダドが私にふさわしい日取りを示した。タシュリトウの月の縁起の良い日に、喜びと歓喜に沸く中、サルゴンの息子ナラム・シンの遺構の上で、私は指の幅ぴったりにレンガを並べた。5000もの杉の大きな木材を、その屋根葺きのために用いた。その門に、杉を用いた大きな扉、敷居と軸を備え付けた。Ebabbar神殿とE-kun-ankuga神殿(「天国への清い階段」の意味)及びそのジッグラトを私は再建した。私は喜びのうちに列をなして主、シャマシュを導き、彼を、彼の好む住処に安置した。 [iii.8-10] サルゴンの息子ナラム・シンの名により書かれた碑文を私は見つけた。私はその内容を変えなかった。私は油でそれを清め、犠牲を捧げ、私の碑文と共に、元の場所に戻した。 [iii.11-21] おおシャマシュよ、天国と冥界の偉大な主にして神々の光 - あなたの父、シンとニンガルの子よ。あなたが愛するEbabbar神殿に入るとき、あなたが永遠の高座に座るとき、喜びのうちに私を見てください、このナボニドゥスを。バビロンの王にしてあなたを世話する王子を。私はあなたを喜ばせ、あなたの威厳ある礼拝所を築きました。私の善い行いのゆえに、毎日の日の出と日没時において、そして天上と地上において示される私への前兆を好ましいものにしてください。私の嘆願を受け入れ 私の祈りを受け取ってください。私の手にある笏(しゃく)と王杖により、私は永遠に統治できますように。 [iii.22-38] 戦いの女神アヌニトゥ。弓と矢筒を持ち、彼女の父エンリルの命令を遂行し、敵をせん滅させ、邪悪な者を滅ぼし、他の神々に先駆け、日の出と日没においては私の凶兆を好ましい者に変える女神。私は彼女のために、彼女のEulmaš神殿の古い遺構を発掘し、調査した。その神殿は800年も前から、クドゥル・エンリルの息子、バビロンの王シャガラクティ・シュリアシュの時代からそれはシッパル・アヌニトゥにあった。私はクドゥル・エンリルの子、シャガラクティ・シュリアシュの遺構の基礎を清め、レンガ工事を行った。私は神殿を再建し、完成させた。戦いの女神アヌニトゥ。彼女の父エンリルの命令を遂行し、敵をせん滅させ、邪悪な者を滅ぼし、他の神々に先駆ける女神。私は彼女のために住居を建てた。定められた捧げ物の他に、私は従来のものに加えるよう定めたそのほかの捧げ物(を捧げた)。 [iii.38-42] おおアヌニトゥ、偉大なる女神よ。あなたが喜びのうちに神殿に入るとき、私の善い行いを好ましく思い、そして毎月、日の出と日没のとき、私のために、シンに嘆願してください。あなたの父、あなたをもうけた神へ。 [iii.43-51] 、シンとシャマシュが王位に就けるであろう者よ。あなたが誰であれ、その治世において神殿が荒廃したときに再建する者よ。どうか私の名による碑文を見つけ、それを変えないでほしい。どうか彼がそれを油で清め、犠牲を捧げ、彼の名による碑文と共に元の場所へ戻しますように。シャマシュとアヌニトゥが彼の嘆願を聞き、彼の発言を受け入れ、彼と共に歩み、彼の敵を殲滅させ、日々、父にして創造者である、シンへ彼のために取りなしてくださるように。 ナボニドゥスの詩以下はナボニドゥスの詩として知られる文書である。[9]これはもしかしたら、キュロス大王の治世に書かれたものかもしれない。ウィリアム・オルブライトはこれを「キュロスの賞賛文」と呼んだ。 以下の翻訳のオリジナルはA.レオ・オッペンハイム(シカゴ大学の古代メソポタミア歴史学者)によるものである。ジェームズ.B.プリチャード(ペンシルヴェニア大学の考古学者)が1950年に出した「旧約聖書関連の古代近東文書」に掲載されたものから引用する。[10]
[文章の約3分の1が失われている。欠落部分では、「筆」や「王は狂っている」などのような単語が識別できる。続きの文章の中では、ペルシアの役人がナボニドゥスの無能ぶりへ侮辱的な批判をしていることや、戦争が起こり、ナボニドゥスが幻覚を見るようになり、実際には勝利していないにもかかわらずキュロスへの勝利を豪語したこと、そして結局、敗れたことなどが記されていると思われる。そして文章は、信心深いキュロスと冒とく的な嘘つきナボニドゥスの比較へと続いていく。]
文学
関連項目外部リンク脚注
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