ドモニク・ブラウン
ドモニク・ローン・ブラウン(Domonic Larun Brown, 1987年9月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州パスコ郡ゼファーヒルズ出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。 経歴プロ入り前フロリダ州で生まれ、後にジョージア州アトランタへ移る。高校時代は野球以外にアメリカンフットボールのワイドレシーバーとしても活躍。 プロ入りとフィリーズ時代高校卒業後はマイアミ大学へ進学してフットボールに専念する予定だったが、2006年のMLBドラフト20巡目(全体607位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名を受ける。20万ドルの契約金を提示されたブラウンは、フィリーズへの入団を決意した[1]。 2009年には主にA+級クリアウォーター・スレッシャーズとAA級レディング・フィリーズで打率.299、14本塁打、23盗塁、OPS.880を記録し、マイナー全体でも屈指の有望株と見なされるようになる。同年オフには、ロイ・ハラデイのトレード交渉において、トロント・ブルージェイズ側がブラウンを交換要員に含めることを要求したが、フィリーズのルーベン・アマロ・ジュニアGMはブラウンの放出を断固拒否した。代わりにマイケル・テイラーを差し出すことでトレードは成立した[2]。 2010年はオールスター・フューチャーズゲームに米国選抜として出場。7月28日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャーデビューを果たした。メジャーでは出場機会に恵まれず、35試合70打席で打率.210、2本塁打だったが、マイナーではAA級レディングとAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで打率.327、20本塁打、17盗塁、OPS.980と活躍。オフには、「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングでは、ブライス・ハーパー、マイク・トラウト、ヘスス・モンテロに次ぐ全体4位の評価を受けた[3]。この年限りでフィリーズの正右翼手だったジェイソン・ワースがFAでワシントン・ナショナルズに移籍したが、フィリーズはブラウンの台頭を見込んで、ワースに対して積極的な引き留めを行わなかった[4]。 2011年はスプリングトレーニング中に右手の有鈎骨を骨折し、開幕を故障者リストで迎えた。マイナーでのリハビリを経て、5月20日にメジャーへ昇格。その後は右翼のレギュラーとして起用されたが、復帰を急ぎ過ぎた影響もあって、期待されたような成績は残せなかった。7月29日にトレードでハンター・ペンスが加入すると、ブラウンはAAA級リーハイバレーへ降格し、左翼手へコンバートされた。慣れない左翼守備への戸惑いが打撃にも悪影響を及ぼし、降格後はAAA級リーハイバレーで92打数20安打の打率.227、1本塁打と不振を極めた。自信を失っていたブラウンに対して、チャーリー・マニエル監督は「彼が我々の期待する通りの選手なら、挫折も成長の一環だ」として、将来の正左翼手として改めて期待を寄せた[5]。この年は56試合に出場して5本塁打・3盗塁を記録するなど、メジャーでの経験は積んだ。 2012年、7月にペンスがトレード放出された影響により、スタメンに名を連ねる機会が増えた[6]。2年連続で56試合に出場したが、打率は前年から.010低下した。また、メジャー3年目にして初めて盗塁0に終わった。 2013年は、シーズン開幕前の試合も含めて好調を維持。5月には1ヵ月で12本塁打放って月間MVPに輝くと、前半戦で23本のホームランを放ち、オールスターのメンバーにも選出された[7]。本塁打王を獲得する可能性もあったが、後半戦は相次ぐ故障[7]によって4本塁打に留まった。139試合に出場して自身初の規定打席到達、打率.272・27本塁打・83打点を記録した。 2014年も引き続き左翼手のレギュラーの座をキープし、2年連続で規定打席に到達したが、打撃成績は低下した。 2015年10月19日に40人枠から外れる形でAAA級リーハイバレーへ配属された[8]後、翌20日にFAとなった[9]。 フィリーズ退団後2016年2月25日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[10]。シーズンでは傘下のAAA級バッファロー・バイソンズでプレーし、126試合に出場して打率.239・7本塁打・41打点・5盗塁の成績を残した。オフの11月7日にFAとなった[9]。 2017年1月31日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[11]。7月19日に解雇となる。 2018年はメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約するが、4月29日に解雇となる。7月3日にドスラレドス・オウルズと契約した。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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