デュプレクス (Dupleix)はフランス海軍 の装甲巡洋艦 。デュプレクス級 。艦名となっているデュプレクス はインド総督を務めた人物である[ 1] 。
艦歴
ロシュフォール工廠(Arsenal de Rochefort[ 2] )で建造[ 3] 。1899年1月18日起工[ 2] 。1900年4月28日進水[ 2] 。1902年8月22日、試験中に缶室で逆火が発生し、7名が重度のやけどを負った[ 4] 。1903年9月15日就役[ 2] 。ロシュフォールは「デュプレクス」を建造するには狭く、その後もフランス装甲巡洋艦は大型化していったため、「デュプレクス」は同地で建造された最後の主要艦艇となった[ 5] 。
「デュプレクス」は1905年9月まで大西洋部隊(Division de l’Atlantique)旗艦を務め、アゾレス諸島 や西アフリカ、アメリカ大陸を訪れた[ 6] 。シェルブール で数年間予備役に置かれた後、「デュプレクス」は極東配備となり、1910年11月12日にシェルブールより出発[ 6] 。以後、第一次世界大戦勃発までサイゴン を拠点とし、また装甲巡洋艦「モンカルム 」が派遣されてくるまで[ 8] 極東海軍部隊(Division navale de l’Extrême-Orient)旗艦を務めた[ 6] 。
第一次世界大戦
日本にあった「デュプレクス」は1914年8月5日に香港に到着してイギリスの中国艦隊 に加えられ[ 9] 、戦艦「トライアンフ 」などとともに青島の監視および石炭船、商船の出航阻止任務に従事した[ 10] 。日本の参戦後、「デュプレクス」はマラッカ海峡 の哨戒部隊に加えられた[ 11] 。9月下旬、「デュプレクス」はスエズ 行き船団護衛のためコロンボ へ向かった[ 9] 。
1915年5月、「デュプレクス」はダーダネルス艦隊(Escadre des Dardanelles)に加わった[ 12] 。5月26日、「デュプレクス」はボドルム 沖で砲火を受け、また港を砲撃した[ 13] 。このとき「デュプレクス」は死者27名、負傷者11名を出した[ 13] 。「デュプレクス」は装甲巡洋艦「クレベ 」、「ブリュイ 」、「ラトゥーシュ・トレヴィル 」とともにミティリニ島 を拠点として小アジア沿岸の封鎖に従事した[ 13] 。8月21日、スミュルナ 沖で行われたスブラ湾上陸のための陽動作戦で戦艦「シャルルマーニュ 」を掩護した[ 13] 。
1916年9月、「デュプレクス」はダカール 配備の部隊に加わった[ 14] 。1917年10月15日、「デュプレクス」はブレスト で予備役となった[ 15] 。
1919年5月1日退役[ 15] 。9月27日除籍[ 15] 。1922年に解体のため売却された[ 15] 。
要目
排水量:7700トン[ 1] [ 16]
長さ:全長132.10m、垂線間長130.00m[ 1]
幅:水線幅17.8m[ 1]
機関:ベルヴィール缶24基、直立4気筒3段膨張機関、3軸[ 17]
速力:21ノット(設計)[ 1]
装甲:装甲帯102mm(最大)、甲板22/50mm、164mm砲塔110mm、司令塔120mm[ 1]
兵装:M1893-96 45口径16cm砲8門(連装)[ 19] 、M1893 45口径100mm速射砲4門(単装)、M1885 40口径47mm速射砲10門(単装)、37mm速射砲4門、450mm水上魚雷発射管2門、魚雷6本[ 20]
脚注
^ a b c d e f John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 82
^ a b c d John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 81
^ 『フランス巡洋艦史』78ページ
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 93
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 94
^ a b c John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 95
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 113
^ 「モンカルム」は1912年11月12日にサイゴンへ向け出発している[ 7]
^ a b John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 225
^ Julian S. Corbett, Naval Operation Vol. I , pp. 143, 149
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 225. Julian S. Corbett, Naval Operation Vol. I , p. 282
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , pp. 235-236
^ a b c d John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 236
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 242
^ a b c d John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , p. 256
^ 『フランス巡洋艦史』78ページによれば常備排水量が計画7578トンで、実際は7432トン。同書にはどのトンなのかは明記されていないが、7700メートルトン≒7578英トンなので、これらは英トンと思われる。
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , pp. 82, 93
^ 『フランス巡洋艦史』6、147ページ
^ 実口径16.47cm[ 18]
^ John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , pp. 82, 90
参考文献
『フランス巡洋艦史』世界の艦船増刊第50集、海人社、1998年
John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932 , Seaforth Publishing. 2019, ISBN 978-1-5267-4118-9
Julian S. Corbett , Naval Operation Vol. I: To the Battle of the Falklands December 1914 , Longman, Green, 1920