デッギンゲン (ドイツ語 : Deggingen ) は、ドイツ連邦共和国 バーデン=ヴュルテンベルク州 シュトゥットガルト行政管区 のゲッピンゲン郡 に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。
地理
位置
デッギンゲンは、バート・ディッツェンバッハ (西)とバート・ユーバーキンゲン (東)とのほぼ中間、フィルスタール 上流域の高度 465 m から 777 m に位置する[ 2] 。
自治体の構成
自治体デッギンゲンには、かつて独立した自治体であったライヒェンバッハ・イム・テーレが含まれる。1974年12月31日時点のデッギンゲンには、デッギンゲン地区、小集落ベルネック、アヴェ・マリア教会および修道院(ツークシュタイン)、一戸集落ビールケラーとノルトアルプおよび廃集落のボーゲンヴァイラーが属す。旧自治体ライヒェンバッハ・イム・テーレにはライヒェンバッハ・イム・テーレ地区、農場集落ガイレンと廃集落ブルク・ゲーレンベルクが属している[ 3] 。
土地利用
用途
面積 (ha)
占有率 (%)
住宅地
96
4.2
商工業地
22
1.0
レクリエーション用地
19
0.9
その他市街地
35
1.5
交通用地
98
4.3
農業用地
1152
50.7
森林
745
32.8
水域
8
0.3
その他
96
4.2
合計
2271
100
2022年現在の州統計局のデータに基づく[ 4] 。
歴史
概要
デッギンゲンは、町の外れにある5世紀 から7世紀 のメロヴィング朝 時代の列状墓が示すように、中世 初期には既に定住がなされていた[ 5] 。
デッギンゲンは、シュヴァーベン公 の時代にはシュタウフェン家 の家領であったが、その衰退後にヘルフェンシュタイン伯領に移された[ 2] 。この伯家は、デッギンゲンを1382年 から1396年 まで帝国都市 ウルム に担保として委譲した。ヘルフェンシュタイン伯家 (ドイツ語版 、英語版 ) 断絶後、デッギンゲンとライヒェンバッハ・イム・テーレは、1806年 まではヴィーゼンシュタイク家に属しており、17世紀 に相続と売却によって 2/3 がバイエルン選帝侯領に、1/3 がフュルステンベルク家のものとなっていた。1806年、陪臣化 によりヴィーゼンシュタイク家の所領はヴュルテンベルク王国 領となった。1806年から1810年 までデッギンゲンとライヒェンバッハはヴュルテンベルクのオーバーアムト・ヴィーゼンシュタイクに属した。1810年から1938年 まで両町はオーバーアムト・ガイスリンゲンに属した。
王政の終焉後、両町はヴュルテンベルク自由人民州 に属した。ナチ時代 のヴュルテンベルクの郡域再編により1938年 にゲッピンゲン郡 に編入された。1945年 から1952年 までデッギンゲンとライヒェンバッハは、1945年にアメリカ占領地区 (ドイツ語版 、英語版 ) に設けられたヴュルテンベルク=バーデン州 (ドイツ語版 、英語版 ) の一部となった。1952年にこの州は、新たにバーデン=ヴュルテンベルク州 に再編された。
町村合併
1975年1月1日、ライヒェンバッハ・イム・テーレがデッギンゲンに合併した[ 6] 。
住民
人口推移
出典: 1961年以降のデータは、バーデン=ヴュルテンベルク州統計局のデータによる。
時点
人口(人)
1837年
2,419
1907年
2,331
1939年05月17日
2,584
1950年09月13日
3,820
1961年06月06日
4,737
1970年05月27日
5,415
1983年12月31日
5,508
1987年05月25日
5,548
1991年12月31日
5,814
1995年12月31日
5,709
2000年12月31日
5,668
2005年12月31日
5,664
2010年12月31日
5,456
2015年12月31日
5,279
2020年12月31日
5,304
行政
議会
町議会議員は Unechte Teilortswahl の方法で選出される。このため議席数は、超過議席によって変化する。2019年5月26日の選挙は15議席(改選前と同数)であった。町議会は、これらの選出された名誉職の議員と、議長を務める町長で構成されている[ 7] 。町長は町議会において投票権を有している。
首長
2023年からマルクス・シュヴァイツァー (CDU ) が町長を務めている。彼は2023年3月5日の町長選挙で 58 % の支持票を得て選出された[ 8] 。前任者はカール・ヴェーバー (CDU) で、2007年から2023年まで町長を務めた。
紋章
この町の紋章は、赤地 に白い 象の頭部とその下に6つの突起がある金 の星が描かれている。象は、1627年に断絶するまでこの集落を治めていたヘルフェンシュタイン家の紋章動物である。星は、おそらく単に識別の都合で描かれたと考えられる。象の頭部と星は、1551年にデッギンゲン市場の公印として初めて登場する。1954年、町役場にヘルフェンシュタイン家の紋章と地元貴族の紋章とを組み合わせた異なる外観のレリーフ が掲げられた。町の申請に基づき内務省は1959年6月30日に、元の紋章をヘルフェンシュタイン家の配色である白と赤で彩色された紋章を認可した[ 2] 。
姉妹自治体
この他に姉妹自治体の働きかけが行われているが、実現していない。
経済と社会資本
交通
道路
デッギンゲンは、連邦道 466号線によって南北に分けられている。この連邦道はフィルスタール上流域全体を貫いて、ガイスリンゲン と連邦アウトバーン8号線 とを結んでいる。この道路は通勤者や貨物輸送によって一日中交通量が多い。
公共交通機関
デッギンゲンは1903年から1983年まで支線のガイスリンゲン (シュタイゲ) - ヴィーゼンシュタイク 線(テーレス鉄道)によって鉄道網に接続していた。王立ヴュルテンベルク邦有鉄道 は、統一駅舎 Typ IIb の駅舎を建設した[ 9] 。現在(2024年)は、バス路線がゲッピンゲン 、ガイスリンゲン・アン・デア・シュタイゲ、ヴァイーゼンシュタイクなどとデッギンゲンとを結んでいる。
自転車
かつての鉄道路線跡が自転車道に改造されている。これにより、フィルスタール上流域の発達した自転車道網は「フィルスタールルート」の構成要素となっている。デッギンゲンは、マウンテンバイク やグラーヴェルバイク (ドイツ語版 、英語版 ) 向けの自転車道でアーレンからトゥットリンゲンまでを6つの区間で結ぶアルプ=クロッシングに面している[ 10] 。
遊歩道
デッギンゲンの北の町境沿いにアルプシュタイク(シュヴェービシェ=アルプ=ノルトラント=ヴェークあるいは HW1 とも呼ばれる)が通っている。この遊歩道はドイツで最も人気のある遊歩道の1つであり、シュヴェービシェ・アルプの山沿いにドナウヴェルト からトゥットリンゲン (ドイツ語版 、英語版 ) までを結んでいる[ 11] 。
航空
ベルネック小集落にベルネック・グライダー飛行場がある。
文化と見所
デッギンゲンは、多くの見所をその街道沿いに持つシュヴェービシェ・アルプ街道沿いに位置している。デッギンゲンの北に、フィルスタール上流域の優れた眺望が得られる「ノルトアルプ」がある。
クラブ・団体
1674年にデッギンゲン射撃協会が設立された。
1867年にリーダークランツ・コンコルディア・デッギンゲンが設立された。8つのグループ(混声合唱団、青年合唱団、若年合唱団、児童合唱団、ノータホプザー(幼児グループ)、マンドリングループ、演劇グループ、ビノーケル(カードゲーム)グループ)をもつこのクラブは、デッギンゲンで最も組織化されたクラブの1つである、
1958年にデッギンゲン音楽クラブが設立された。この町のブラスミュージック は100年以上の伝統がある。
プファントフィンダー・デッギンゲン(スカウト運動 )は1962年にデッギンゲン DPSG によって設立された。
1985年に BSC デッギンゲン e.V.(アーチェリー クラブ)が設立された。
アヴェ・マリア巡礼教会
建物
バロック様式 の教区教会
アヴェ・マリア巡礼教会
1976年にデッギンゲン近郊でローマ時代 の防衛施設の遺跡が発見された。
関連図書
Christoph Friedrich von Stälin, ed (1842). “Deggingen”. Beschreibung des Oberamts Geislingen . Die Württembergischen Oberamtsbeschreibungen 1824–1886. Band 17. Stuttgart / Tübingen: Cotta’sche Verlagsbuchhandlung. pp. 168–172
Fritz Darcis; Herbert Allmendinger (2010). Deggingen und Reichenbach im Täle . Heimatbuch erarbeitet vom Arbeitskreis Heimatbuch. Geislingen an der Steige: Maurer. ISBN 978-3-00-033078-0
脚注
出典
外部リンク
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