第6代リーヴェン伯爵[注釈 1]および第5代メルヴィル伯爵デイヴィッド・レズリー(英語: David Leslie, 6th Earl of Leven, 5th Earl of Melville、1722年3月4日[3]/5月4日[1] – 1802年6月9日)は、スコットランドの貴族、フリーメイソン。1729年から1754年までバルゴニー卿の儀礼称号を使用した[3]。
生涯
第5代リーヴェン伯爵および第4代メルヴィル伯爵アレクサンダー・レズリーと1人目の妻メアリー・アースキン(Mary Erskine、1723年7月12日没、ジョン・アースキンの娘)の息子として、1722年に生まれた[3]。エディンバラ大学で学んだ後、1740年から1742年までフローニンゲン大学で教育を受けた[3]。
1742年にエンサイン(英語版)としてイギリス陸軍に入隊、1744年には歩兵連隊の大尉になった[3]。
1754年9月2日に父が死去すると、リーヴェン伯爵とメルヴィル伯爵の爵位を継承した[3]。
フリーメイソンの一員として、1759年から1761年までスコットランド・グランドロッジのグランドマスター(英語版)を務めた[3]。
スコットランド銀行副総裁を務めたほか、1773年から1782年までスコットランド警察卿(Lord of Police)の1人を、1778年にスコットランド・キリスト教知識普及協会(英語版)会長を、1783年から1801年までスコットランド教会総会への勅使(英語版)を務めた[3]。
1802年6月9日に病死、バルゴニー(英語版)で埋葬された[3]。息子アレクサンダーが爵位を継承した[3]。
家族
1747年7月29日、ウィルヘルミナ・ニスベット(Wilhelmina Nisbet、1724年 – 1798年5月10日、ウィリアム・ニスベットの娘)と結婚[3]、5男3女をもうけた[1]。
- アレクサンダー(1749年 – 1820年) - 第7代リーヴェン伯爵、第6代メルヴィル伯爵
- ウィリアム(英語版)(1751年 – 1777年) - 陸軍軍人。プリンストンの戦いで戦死
- ジェーン(1829年10月28日没) - 1775年11月9日、第4代準男爵サー・ジョン・ベルシェス(英語版)と結婚、子供あり
- デイヴィッド(1838年10月21日没) - 1787年1月16日、レベッカ・ギリーズ(Rebecca Gillies、ジョン・ギリーズの娘)と結婚
- ジョン(1759年11月20日 – 1824年) - 1816年9月13日、ジェーン・カミング(Jane Cuming)と結婚
- ジョージ(1766年4月21日 – 1812年3月8日) - 1802年11月27日、ヤコミナ・ヘルトロイダ・ファン・デ・グラーフ(Jacomina Gertruida van de Graaff、ウィレム・ヤコブ・ファン・デ・グラーフ(英語版)の娘)と結婚、子供あり
- メアリー・エリザベス(1820年10月7日没) - 1776年11月、第6代フリーランドのルーヴェン卿ジェームズ・ルーヴェンと結婚、子供あり
- シャーロット(1830年没)
注釈
出典
- ^ a b c "Leven, Earl of (S, 1641)". Cracroft's Peerage (英語). 30 January 2018. 2019年11月3日閲覧。
- ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Leven and Melville, Earls of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 16 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 508.
- ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 621–622.