第6代ギャロウェイ伯爵アレクサンダー・ステュアート(英語: Alexander Stewart, 6th Earl of Galloway、1694年頃 – 1773年9月24日)は、スコットランド貴族。1694年から1746年までガーリーズ卿の儀礼称号を使用した。
生涯
第5代ギャロウェイ伯爵ジェームズ・ステュアートとキャサリン・モンゴメリー(Catherine Montgomerie、1757年12月没、第9代エグリントン伯爵アレクサンダー・モンゴメリー(英語版)の長女)の長男として、1694年頃に生まれた[1]。
1746年2月16日に父が死去すると、ギャロウェイ伯爵の爵位を継承した[1]。1743年頃から1768年まで警察卿(Lord of Police)を務め、1757年から1759年までスコットランド・グランドロッジのグランドマスター(英語版)を務めた[1]。また、1756年8月24日に(バリーの)準男爵位を継承した[2]。
1773年9月24日にフランスのエクス=アン=プロヴァンスで死去、息子ジョン(英語版)が爵位を継承した[1]。
家族
1718年/1719年頃、アン・キース(Anne Keith、1728年没、第9代マリシャル伯爵ウィリアム・キース(英語版)の娘)と結婚[1]、3男1女を儲けた[2]。
- アレクサンダー(1719年8月26日 – 1738年)
- ジェームズ(1733年11月11日没) - ダルキース・スクール(Dalkeith School)の在学中、天然痘により没
- 男子 - 夭折
- メアリー(1751年4月10日没) - 1741年9月11日以降、フォートローズ卿ケネス・マッケンジー(英語版)と結婚、子供あり
1729年1月5日/7日、エディンバラでキャサリン・コクラン(Catherine Cochrane、1786年3月15日没、第4代ダンドナルド伯爵ジョン・コクランの娘)と再婚[1]、4男6女を儲けた[2]。
出典
- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 605–606.
- ^ a b c "Galloway, Earl of (S, 1623)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年8月17日閲覧。
- ^ Haden-Guest, Edith Lady (1964). "STEWART, Hon. Keith (1739-95), of Glasserton, Wigtown.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust.