デイヴィッド・モカッタ
デイヴィッド・アルフレッド・モカッタ(David Alfred Mocatta, 1806年2月17日 - 1882年5月1日)はユダヤ系イギリス人の建築家。 経歴1806年、ロンドンのセファルティムの家に生まれた。父親は地金の仲買人であった[1][2]。1821年から27年までロンドンのジョン・ソーンに師事し[3][4]、1829年から1年間イタリアで学んだ[3]。その後1839年までにW・J・モカッタと共にブルームズベリーで開業し、46年まで勤務したのちロンドンに移転した。1833年には、イングランドのユダヤ人建築家として初めて国内のシナゴーグを設計した[5]。このシナゴーグはケント州ラムズゲートにあり、モーゼス・モンテフィオーレのために設計されたものである。また、ユダヤ系イギリス人によるウェスト・ロンドン・シナゴーグは、バートン・ストリートの仮設建築(1841年)と、マーガレット・ストリートの建築物(1851年)の設計をモカッタに依頼した。後者は400席の座席が設置され、建設費4千ポンドを要した[5]。また1846年には英国建築研究所(後の王立英国建築家協会)のフェローに選ばれた[5]。 鉄道建築1839年、モカッタはロンドン・アンド・ブライトン鉄道の設計士に就任し、ブライトン駅とその他10駅の設計を任された[6]。彼が設計したブライトン駅のデザインは、ウィリアム・タイトが設計したナイン・エルムス駅と似ていると言われており、他の駅はイタリア風建築の影響が見られる[7]。そのほか、同社のウース・ヴァレー高架橋の装飾デザインも担当した[8]。 また、ファリンドン通りにセントラル・ロンドン鉄道の駅を建設する計画にも関わり1845年頃に計画書を作成したが、実現には至らなかった[8]。 その後の経歴1848年、モカッタはロンドン発熱病院の設計コンペで優勝した。また1846年頃、サフォーク州のストウラングトフト・ホールの設計を行い、現在の建物(1859年築)は彼の設計に基づいて建てられたものと考えられている[9]。その後1850年代に一族の財産を相続したモカッタは、早々に建築家を引退した[5]。 その後、彼はサー・ジョン・ソーンズ美術館の上級理事となった[5]。またウェスト・ロンドン・シナゴーグの創設メンバーでもあった彼は、委員会の議長にも就任した。 脚注
参考文献
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