チョバン朝チョバン朝(ちょばんちょう)は、現在のイラン・イラク地方を支配したイルハン朝末期政権(1340年 - 1357年)。 来歴イルハン朝は第7代君主・マフムード・ガザンと第8代君主・ムハンマド・オルジェイトゥの時代に全盛期を迎えた。アブー・サイードの没後は有力アミールのチョバンがアブー・サイードを輔弼するが、1327年にチョバンはアブー・サイードと対立して粛清された。 アブー・サイードが1335年に死去すると、イルハン朝は無政府状態となる。その中でスルドゥス部で勢力を蓄えていたチョバンの孫・シャイフ・ハサン(小ハサン)はイルハン朝の傍系にあたるサティ・ベクやスライマーンを擁立し、アゼルバイジャン地方に勢力を拡大した。ジャライル部のタージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン)と抗争してさらに勢力を拡大したが、1343年に暗殺された。 君主の死でチョバン朝は混乱し、内紛の末にシャイフ・ハサンの弟のアシュラフが継いだ。アゼルバイジャンへの勢力拡張を図っていたジョチ・ウルスはこれに応じて大軍を率いて侵攻し、敗れたアシュラフは捕らえられて殺害され、分裂後のイルハン朝中央政権だったチョバン朝は滅亡する。 歴代君主系図
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