チャールズ・ボイル (第3代ダンガーヴァン子爵)
第3代ダンガーヴァン子爵チャールズ・ボイル(英語: Charles Boyle, Viscount Dungarvan, 3rd Baron Clifford, FRS、1639年11月17日 – 1694年10月12日)はイギリスの貴族、政治家。有名なアングロ・アイリッシュ[注 1]の家系に生まれた。 経歴チャールズは1639年11月17日、初代バーリントン伯爵リチャード・ボイルとその妻エリザベスの子として生まれ[2]、誕生の時から儀礼称号としてダンガーヴァン子爵 [注 2]を称していた。1654年にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1660年4月から8月までグランドツアーに出てオランダとフランスを旅した[2]。このほか、1669年にミドル・テンプルに、1675年にグレイ法曹院に入学した[3]。 1663年2月20日、繰上勅書により正式にダンガーヴァン子爵を承継しアイルランド貴族院議員となった[2]。1664年1月6日、王立協会フェローに選出された[3]。しかし、会費を支払わらなかったとして1685年7月22日に王立協会から追放された[3]。 1670年から79年までタムワース選挙区からイングランド庶民院議員に選出され、1679年以降はヨークシャー選挙区選出となった[2]。1689年7月16日には繰上勅書により父からレインズバラのクリフォード男爵位を承継し、イングランド貴族院議員となった[2]。 1691年の母の死により、クリフォード男爵位を承継した。1694年10月12日、チャールズは父親に先立って死去、爵位は長男のチャールズに承継された[4]:174。 家族チャールズは1661年5月7日、ジェーン・シーモア(1637年 - 1679年11月23日)と結婚した。彼女は、第2代サマセット公爵ウィリアム・シーモアとその妻フランシスの四女だった。2人は2男3女をもうけた。
1679年にジェーンが亡くなり、チャールズは1688年に初代バークレー伯爵ジョージ・バークレーの娘アレトゥーサ(1664年 - 1743年2月11日)と結婚し、1女をもうけた。
系譜図バーリントン伯爵 (1664年創設、初代-第3代) ・ダンガーヴァン子爵 (初代-第8代) 系譜図
注釈
脚注
|