セーニ (イタリア)
セーニ(イタリア語: Segni)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある、人口約9,100人の基礎自治体(コムーネ)。 名称現代のイタリア語以外の言語では、以下の名称を持つ。
地理位置・広がりローマ県南東部のコムーネ。 隣接コムーネ隣接するコムーネは以下の通り。カッコは県名略記号。 歴史古代ローマの資料によると、紀元前6世紀、王政ローマの第7代王タルクィニウス・スペルブスは、この地にローマの植民都市を建設し、のちにシグニアと呼ばれるようになった[4]。紀元前495年に追加の植民者が送られたと記録されている[5][6]。 古代の建築は、主に共和制時代にさかのぼるものが残っている。これには、多角形の石積みを使用して建てられた防壁も含まれる。防壁には、巨石を軒縁 (architrave) に用いた Porta Saracena などの城門のシステムが組み込まれている。セーニの古代アクロポリスの頂上には、ユーノー・モネータの寺院の基壇が残っており、中世(10世紀)に築かれた聖ペテロ教会を支えている。 セーニは、12世紀半ばに王宮を建てた教皇エウゲニウス3世をはじめ、さまざまな教皇たちが避難所として用いた。オルシーニ家の宿敵であるマルシ伯爵家 (Counts of Marsi) は、12世紀にセーニを獲得し、コンティ家(コンティ・ディ・セーニ家)と呼ばれるようになった一族からは、数人の教皇(インノケンティウス3世、グレゴリウス9世、アレクサンデル4世)と多くの枢機卿を輩出した。 1558年、教皇パウルス4世と戦っていたアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの軍隊によってセーニは略奪された。カンパーニャ (it:Campagna e Marittima) の他の町の住民も逃げ出したため、膨大な戦利品が捕獲された。 行政山岳部共同体広域行政組織である山岳部共同体 XVIII Comunità dei Monti Lepini (it) に属する。 人物ゆかりの人物
脚注
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