セルジオ・アミデイ
セルジオ・アミデイ(Sergio Amidei, 1904年10月30日 - 1981年4月14日)は、イタリアの脚本家、映画プロデューサーである[1][2]。日本ではセルジオ・アミディとも表記される。 人物・来歴1904年(明治37年)10月30日、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のイタリア共和国)トリエステ県トリエステに生まれる[1][2]。 1935年(昭和10年)、ゴッフレード・アレッサンドリーニ監督の『ドン・ボスコ』の脚本に参加したのが、もっとも古いクレジットである[1]。その後、第二次世界大戦終戦までの約10年間に、約30本の映画脚本に参加している[1]。 1945年(昭和20年)、ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』の脚本に参加、助監督も務め、1947年(昭和22年)、同作を共同執筆したフェデリコ・フェリーニとともに、第19回アカデミー賞脚色賞にノミネートされた[1]。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『靴みがき』の脚本で、1948年(昭和23年)、同作を共同執筆したアドルフォ・フランチ、チェーザレ・ジュリオ・ヴィオラ、チェーザレ・ザヴァッティーニとともに第20回アカデミー賞脚本賞ノミネートにノミネートされた[1]。 ロベルト・ロッセリーニ監督の『戦火のかなた』の脚本で、1950年(昭和25年)、同作を共同執筆したロッセリーニ、アルフレッド・ヘイズ、フェデリコ・フェリーニ、マルチェッロ・パリエロとともに第22回アカデミー賞脚色賞にノミネートされた[1]。ルイジ・ザンパ監督の『容易な年』の脚本で、1954年(昭和29年)、同作を共同執筆したザンパ、ヴィタリアーニ・ブランカティ、ヴィンチェンゾ・タラリコとともに、ナストロ・ダルジェント脚本賞を受賞した[1]。 ロベルト・ロッセリーニ監督の『ロベレ将軍』の脚本で、同作を共同執筆したディエゴ・ファッブリ、インドロ・モンタネッリとともに、1959年(昭和34年)には、サンフランシスコ国際映画祭金門賞脚本賞を受賞、1962年(昭和37年)には、第34回アカデミー賞脚本賞にノミネートされた[1]。 1977年(昭和52年)、マリオ・モニチェリ監督の『ちゃちなブルジョワ』の脚本で、同作を共同執筆したモニチェリとともに、ナストロ・ダルジェント脚本賞を受賞する[1]。1978年(昭和53年)、フライアーノ映画祭で脚本分野におけるフライアーノ金賞をジャン=クロード・カリエールとともに受賞する[1]。1979年(昭和54年)、第32回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門の審査委員を務める[1]。 1981年(昭和56年)4月14日、ローマで死去した[1][2]。満76歳没。同市内にあるヴェラーノ墓地に眠る[3]。 没後の1982年(昭和57年)、マルコ・フェレーリ監督の『町でいちばんの美女/ありきたりな狂気の物語』の脚本で、同作を共同執筆したフェレーリとともに、翌年1983年(昭和58年)には、エットーレ・スコラ監督の『新世界』の脚本で、同作を共同執筆したスコラとともに、2年連続でダヴィド・ディ・ドナテッロ賞脚本賞を受賞した[1]。 おもなフィルモグラフィ
参考文献
註関連事項
外部リンク
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