スティーブ・フィンリー
スティーブン・アレン・フィンリー(Steven Allen Finley, 1965年3月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手。アメリカ合衆国テネシー州ユニオンシティ出身。 経歴ボルチモア・オリオールズ1986年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから11巡目に指名を受けたが契約せず。1987年のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズから13巡目に指名を受け入団。1989年4月3日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たすが、守備の際に負傷しいきなり故障者リスト入りの憂き目に会う。1990年に22盗塁を記録するなど頭角を現す。1991年1月10日にグレン・デイビスとの交換トレードで、カート・シリング、ピート・ハーニッシュと共にヒューストン・アストロズに移籍。 ヒューストン・アストロズ移籍1年目の1991年は打率.285・170安打・10三塁打・34盗塁を記録する。1992年は全試合出場を果たし、打率.292・177安打・13三塁打・44盗塁と更に成績を伸ばした。1993年は故障の影響もあり全体的に数字を落としたが、13三塁打はリーグトップだった。1994年はMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、自身初の二桁となる11本塁打を記録した。12月28日にデレク・ベル、ダグ・ブロケイルら6選手との交換トレードで、ケン・カミニティ、ロベルト・ペタジーニらと共にサンディエゴ・パドレスに移籍。 サンディエゴ・パドレス1995年は打率.297・36盗塁を記録し、初のゴールドグラブ賞を受賞。1996年は長打力が増し、打率.298・195安打・45二塁打・30本塁打・95打点・126得点を記録、チームの12年ぶりの地区優勝に大きく貢献する。自身初のポストシーズンとなったセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは12打数1安打に終わり、チームも3連敗で敗退した。2年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票でも10位に入った。1997年はオールスターゲームに初めて選出される。1998年は打率.249・14本塁打、キャリアワーストの103三振など不振だったが、チームは2年ぶりに地区優勝を果たす。古巣アストロズとのディビジョンシリーズでは打率.100に終わるが、ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.333と活躍し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。しかしニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは打率.083と振るわず、チームも4連敗と一蹴された。シリーズ直後にフリーエージェントとなり、12月18日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年契約を結び移籍。 アリゾナ・ダイヤモンドバックス1999年は34本塁打・10三塁打、キャリアハイの103打点を記録し、ルイス・ゴンザレス、マット・ウィリアムズ、ジェイ・ベルと『100打点カルテット』を形成、前年地区最下位だったチームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは打率.385と活躍するものの、チームは1勝3敗で敗退した。2000年は3年ぶり2度目のオールスターゲームに選出される。2001年は14本塁打・73打点に留まるが、チームは2年ぶりの地区優勝。カージナルスとのディビジョンシリーズでは打率.421を記録するなど、チームを初のリーグ優勝に導く。ヤンキースとのワールドシリーズでも打率.368・1本塁打と活躍し、史上最速となる球団創設4年目での世界一に輝いた。2002年は復活し、25本塁打・89打点、キャリアハイの出塁率.370を記録。チームは2年連続で地区優勝を果たすが、ディビジョンシリーズでカージナルスに3連敗で敗退。4年契約を満了し10月29日にフリーエージェントとなるが、12月7日に再契約。2003年は38歳にしてリーグトップの10三塁打を記録。2004年はチームが地区最下位に低迷し、7月31日にレジー・アバークロンビーらとの交換トレードで、ブレント・メインと共にロサンゼルス・ドジャースに移籍。 ロサンゼルス・ドジャース移籍後は13本塁打・46打点を記録。10月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でサヨナラ満塁本塁打を放って逆転勝利し、チームは9年ぶりの地区優勝を果たした。シーズン通算で36本塁打・94打点を記録し、39歳にしてキャリアハイの本塁打数となった。自身4度目の対戦となったカージナルスとのディビジョンシリーズは1勝3敗で敗退。10月28日にフリーエージェントとなり、12月11日にアナハイム・エンゼルスに移籍。 引退2005年は打率.222・12本塁打に留まるが、チームは2年連続の地区優勝。ポストシーズンでも打率.150に終わり、チームもリーグチャンピオンシップシリーズでシカゴ・ホワイトソックスに1勝4敗で敗退した。12月22日にエドガルド・アルフォンゾとの交換トレードでジャイアンツへ移籍。2006年6月14日の古巣ダイヤモンドバックス戦で、初回先頭打者本塁打を放って通算300本塁打に到達し、史上6人目の300-300(300本塁打・300盗塁)を達成した。41歳ながらリーグ4位タイの12三塁打を記録するが、打率.246・6本塁打に終わる。オフにフリーエージェントとなり、2007年2月24日にコロラド・ロッキーズと契約。しかし打率.181・1本塁打と結果を残せず6月13日に解雇され、引退。 詳細情報年度別打撃成績
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記録
背番号
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