ジーノ・カリアジーノ・カリア(Gino Caria、1950年代(生年月日不詳) - 1997年11月14日)は、イタリアのユーロビートミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。 経歴マウロ・ファリーナやデイヴ・ロジャースらが台頭していたTIME RECORDS(以下、TIME)内でも、裏方として活躍し[注釈 1]、主にサンドロ・オリーヴァとタッグを組んで活動する。 やがて、デイヴが新設したA-BEAT Cの旗揚げメンバーとして参加し、アーティストとしては「I WANNA BE YOUR SUPERMAN / GINO CARIA」などでヴォーカルを担当し、ソングライターとしては「BAD LOVE / ANNALISE」や「VICTIME OF LOVE / DAVID ESSEX」などの楽曲を手掛けるなど、歌唱・楽曲制作の双方で活動する。同時期には、フリーのコラボレーターとしてTIMEなど複数の他レーベルにも時折楽曲提供を行っていたが、1992年前後より再びTIMEを活動拠点とするようになる。ただし、TIME復帰後もヴォーカリストとしては引き続き、アンドレア・レオナルディが制作した楽曲を中心に、自身のレーベルを設立する1995年まで関わり続けた。 TIME復帰後は、数多くの名義でのヴォーカルを担当し(下記LOU GRANT、FRANK TORPEDOなど)、作詞・作曲にも大きく貢献。ローラン・ジェルメッティが一時離脱した1994年ごろには、セルジオ・ダローラやクララ・モローニなどと共に、積極的に楽曲制作に関わっていた。「SEB Vol.60」では、FRANK TORPEDOとしてエイベックスのインタビューに応じており、1995年に開催されたライヴでは、自身がFRANK TORPEDOとして出演して楽曲を歌唱した。 1995年、念願だった自身のレーベルであるVIBRATIONを、中堅レコード会社・LED RECORDS代表者であったルイージ・スタンガの協力を得て設立。弟子であるアルベルト・フェラーリスやダヴィデ・ディ・マルカントーニオ、そしてフェラーリスの友人で以前よりコンポーザーとしての名声を得ていたステファノ・カスターニャ・エヴェリーナ・ソメンツィ夫妻が参加。この頃の一部楽曲のプロデューサー欄には「GHINES」と表記されていた。楽曲の評価も良く、順風満帆かと思われたが、このときより肺癌の病状が悪化しており、病魔と闘いながらも楽曲制作を続けた。しかし、1997年の春に病状が悪化したことで完全に一線を退いた後、同年内に45歳で死去した[1]。 既に死後20年以上経った現在でも、彼の力強いヴォーカルには数多くのファンが魅了されている。ただそれだけではなく、作曲家としての彼も非常に高い評価を得ている。「LET'S DO IT AGAIN / MORENO」や「I WANNA BE YOUR SUPER MAN / GINO CARIA」などに見られる独特の作風も好評であった。 また、TIME時代にリリースした「MAHARAJA NIGHT / LOU GRANT」「PARA PARA PARA NIGHT / FRANK TORPEDO」が、当時のヴォーカルのままそれぞれリメイクされている。彼がTIME、VIBRATIONでヴォーカルを務めた名義の多くはディ・マルカントーニオが後任を担当しているが、一部のアーティスト名義は、クラウディオ・マニャーニ、ジャンニ・コライーニなどに引き継がれている。A-BEAT Cでジーノが使用していた名義は「EDO」を除いて、トマス・マリンに引き継がれている(「TNT / DERRECK SIMONS」のみMaurizio De Jorioが担当した)。 なお、息子であるジャコモ・カリアは、A-BEAT Cより本名および「G.CARIA」名義で計2曲楽曲を発表している。 ヴォーカルを務めた主な代表曲
所属していたレーベルはとても多いので、他にも様々な名義を持っている。 脚注注釈
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