ジョージ (ケンブリッジ公)
第2代ケンブリッジ公爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズ(2nd Duke of Cambridge, George William Frederick Charles, KG, KT, KP, GCB, GCH, GCSI, GCMG, GCIE, GCVO, VD, KStJ, PC, PC, ADC(P)、1819年3月26日 – 1904年3月17日)は、イギリスの王族。 経歴ケンブリッジ公アドルファス(ジョージ3世七男)と妃オーガスタの長男として、ハノーファーで生まれた。 彼は父同様軍人としてキャリアを積み、ハノーファー軍に短期間入隊したのを皮切りに、イギリス陸軍で活躍した。一定年数の実戦経験を得た後、陸へ上がり名誉職に退く王族が多い中、職業軍人としてクリミア戦争に従軍した変わり種である。1856年から1895年までの長きにわたって、イギリス陸軍最高司令官であった。 常々「政略結婚は失敗すると決まっている」と公言していたジョージは、1847年、愛人であった女優のサラ・フェアブラザーと結婚した。この結婚については1772年の王室結婚令に背いていることから私的に行われ、サラとの結婚は法的には認められないものとなった。サラはケンブリッジ公爵夫人とも名乗れず殿下 (Her Royal Highness) の称号も使えず、イギリス王室の一員とも認められなかった。サラは、ジョージが与えた姓フィッツジョージ (Mrs. FitzGeorge) を名乗った。愛妻サラが1890年に先立つと、ジョージは取り乱したという。以後、毎年の妻の命日になるとその死を悼んで喪に服すジョージの姿があった。 称号と栄典称号の変遷
栄典
外国栄典
名誉職名誉学位子女妻サラ・フェアブラザーとの間に3男をもうけ、全員が軍人となった。なお、王室結婚令に背いた結婚であったことから、子供たちにはフィッツジョージ姓が与えられたが、王位継承権及び公位継承権はなく、ジョージの死をもってケンブリッジ公家は断絶した。のち、ケンブリッジ公爵の称号は、2011年4月29日にウィリアム王子(のちのプリンス・オブ・ウェールズ)とキャサリン・ミドルトンの結婚に伴って復活した。
出典
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