ジョージ・ゴードン (第15代サザーランド伯爵)第15代サザーランド伯爵ジョージ・ゴードン(英語: George Gordon, 15th Earl of Sutherland、1633年11月2日 – 1703年3月4日)は、スコットランド貴族。 生涯第14代サザーランド伯爵ジョン・ゴードンと1人目の妻ジーン(Jean、旧姓ドラモンド(Drummond)、1637年12月29日没、初代パース伯爵ジェームズ・ドラモンドの娘)の次男(長男ジョンは1637年10月14日に天然痘により病死)として、1633年11月2日にドーノックで生まれた[1]。1654年8月に弟ロバート(1635年12月31日 – 1671年)とともにロンドンに向かった[1]。2人はスペイ川からヨークまで乗馬で進み、ヨークからロンドンまでは1週間の間馬車に乗った[1]。その道中での観光、学び、書籍の購入などに関する記述が詳しく残されている[1]。1656年5月に帰途についたが、1660年6月に今度は妻とともにロンドンに向かい、王政復古の後のチャールズ2世に謁見した[1]。 1662年2月に父からサザランドでの領地を与えられた[1]。政情不穏な時期だったため、第6代ケイスネス伯爵ジョージ・シンクレアと協力して騒動を鎮めようとしたが、あまり成果が上がらなかった[1]。 1679年10月14日に父が死去すると、サザーランド伯爵位を継承した[1]。1680年6月に一旦爵位を返上して[1]、1681年6月24日に再叙爵(ノヴォダマス)を受けた[2]。その後は出国し、1685年11月にはロッテルダムで妻と合流した[1]。 ジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)を支持しなかったとされ、1688年にオラニエ公ウィレム3世がイングランドに上陸したときにそれに追随して帰国した[1]。1689年3月14日にエディンバラで招集された仮議会に出席しており、以降も断続的ながらスコットランド王国議会に登院した(最後の登院は1700年10月[1])。 1703年3月4日に死去、ホリールード寺院に埋葬された[1]。息子ジョンが爵位を継承した[1]。死後、妻がホリールード寺院で記念牌を立て、その碑銘は初代クロマーティ伯爵ジョージ・マッケンジーが書いたとされる[1]。 家族1659年8月11日、ジーン・ウィームズ(Jean Wemyss、1715年1月5日没、第2代ウィームズ伯爵デイヴィッド・ウィームズの娘)と結婚、6人の子女をもうけた[1]。
出典
|