第3代アシュバーナム伯爵 ジョージ・アシュバーナム (英語 : George Ashburnham, 3rd Earl of Ashburnham KG GCH FSA 、1760年 12月25日 – 1830年 10月27日 )は、グレートブリテン貴族 。
生涯
第2代アシュバーナム伯爵ジョン・アシュバーナム と妻エリザベス(Elizabeth 、旧姓クロウリー(Crowley )、1728年ごろ – 1781年2月5日 バース 、ロンドン の長老議員 (英語版 ) ジョン・クロウリー (英語版 ) の娘)の次男(長男ジョージは夭折)として、1760年12月25日に生まれ、1761年1月29日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア教会 (英語版 ) で洗礼を受けた[ 1] 。洗礼式では国王ジョージ3世 、首相の初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリス 、ウェールズ公妃オーガスタ が名づけ親を務めた[ 1] 。1778年3月13日にケンブリッジ大学 トリニティ・カレッジ に入学、1780年にM.A. の学位を修得した[ 2] 。
1783年12月18日または1784年6月19日にウェールズ公ジョージ (後の国王ジョージ4世)の寝室侍従 (英語版 ) に任命され、1795年まで務めた[ 3] 。
1803年3月23日、繰上勅書 により存命中の父よりアシュバーナム男爵 位を継承した[ 1] 。1812年4月8日に父が死去すると、アシュバーナム伯爵 位を継承した[ 1] 。政治ではトーリー党 に所属した[ 1] 。
1810年から1830年に死去するまで大英博物館 理事(trustee )を務めた[ 1] 。1827年にロイヤル・ゲルフ勲章 (英語版 ) を授与され[ 1] 、同年にロンドン考古協会 フェローに選出された[ 2] 。1829年6月22日、ガーター勲章 を授与された[ 4] 。
1830年10月27日にアシュバーナム (英語版 ) で死去、息子バートラム (英語版 ) が爵位を継承した[ 1] 。
著作
A Narrative by John Ashburnham of his attendance on King Charles the First, &c. To which is prefixed a Vindication of his Character and Conduct, from the Misrepresentations of Lord Clarendon, by his lineal Descendant and present Representative. (2巻、1830年[ 1] )
家族
1784年8月28日、ソフィア・シン(Sophia Thynne 、1763年12月19日 – 1791年4月9日、初代バース侯爵トマス・シン の娘)と結婚[ 1] 、2男2女をもうけた[ 5] 。
ジョージ (1785年10月9日 – 1813年6月7日) - 庶民院議員、生涯未婚[ 1]
エリザベス・ソフィア(1786年9月16日 – 1879年3月13日[ 6] )
ソフィア(1788年1月29日 – 1807年6月17日[ 5] )
ジョン(1789年6月3日 – 1810年) - 溺死[ 6]
アシュバーナム伯爵夫人シャーロット (英語版 ) 、1812年。
1795年7月25日、シャーロット・パーシー (英語版 ) (1776年6月3日 – 1862年11月26日、初代ビヴァリー伯爵アルジャーノン・パーシー の娘)と再婚[ 1] 、6男7女をもうけた[ 5] 。
ウィリアム(1797年1月19日 – 1797年) - 夭折[ 5]
バートラム (英語版 ) (1797年11月23日 – 1878年6月22日) - 第4代アシュバーナム伯爵[ 1]
パーシー(1799年10月22日 – 1881年1月21日) - 1838年8月23日、エスター・バイ(Esther By 、1848年2月6日没、バイ中佐の娘)と結婚、1女メアリー・キャサリン(Mary Katherine 、1847年10月8日 – 1851年6月27日)をもうけた[ 5]
シャーロット・スーザン(1801年2月23日 – 1865年4月26日[ 6] )
セオドシア・ジュリア(Theodosia Julia 、1802年3月27日 – 1887年8月22日) - 生涯未婚[ 6]
チャールズ(1803年3月23日 – 1848年12月22日) - 外交官。1832年2月6日、サラ・ジョアナ・マレー(Sarah Joanna Murray 、1889年12月19日没、ウィリアム・マレーの娘)と結婚[ 5] [ 6]
ジョージアナ・ジェマイマ(Georgiana Jemima 、1805年5月11日 – 1882年5月) - 1828年2月28日、ヘンリー・リーヴリー・ミットフォード(Henry Revely Mitford )と結婚したが、後に離婚した[ 6] 。1842年、フランシス・ジョージ・モリニュー閣下(Hon. Francis George Molyneux 、1886年5月24日没、第3代セフトン伯爵チャールズ・ウィリアム・モリニュー (英語版 ) の息子)と再婚、子供あり[ 6]
トマス (英語版 ) (1806年 – 1872年3月2日) - 陸軍軍人。1860年2月8日、アデレード・ジョージアナ・フレデリカ・フォーリー(Adelaide Georgiana Frederica Foley 、1861年1月19日没、第3代フォーリー男爵トマス・フォーリー の娘)と結婚[ 5] [ 6]
ジェーン・ヘンリエッタ(1809年7月19日 – 1896年11月26日) - 1836年5月19日、チャールズ・ヘンリー・スウィンバーン提督(Charles Henry Swinburne 、1797年4月2日 – 1877年3月4日、第6代準男爵サー・ジョン・スウィンバーン (英語版 ) の息子)と結婚、子供あり[ 5] [ 6] 。アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン の母
キャサリン・フランシス(Katherine Frances 、1812年3月31日 – 1839年4月6日) - 1838年6月21日、ヘンリー・ウィリアム・ボークラーク(Henry William Beauclerk 、ヘンリー・ボークラーク卿 の曽孫)と結婚[ 6]
イリナ・イザベル・ブリジット(Eleanor Isabel Bridget 、1814年7月28日 – 1895年3月6日) - 1844年11月26日、聖職者アルジャーノン・ウッドハウス(Algernon Wodehouse 、1882年5月12日没、ウィリアム・ウッドハウス閣下の息子)と結婚[ 6]
メアリー・アグネス・ブランシュ(Mary Agnes Blanche 、1816年1月23日 – 1899年4月22日) - 1839年8月29日、第2代準男爵サー・ヘンリー・パーシー・ゴードン (英語版 ) (1806年 – 1876年7月29日[ 7] )と結婚[ 6]
レジナルド(Reginald 、1819年2月3日 – 1830年3月5日[ 5] )
出典
^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 273–274.
^ a b "Ashburnham, the Hon. George [Viscount St Asaph]. (ASBN778G)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ Bucholz, Robert Orland. "Household of George Augustus Frederick, Prince of Wales (from 1812, Prince Regent) 1762-1820" (PDF) . The Database of Court Officers: 1660-1837 (英語). p. 32. 2021年6月13日閲覧 。
^ "No. 18587" . The London Gazette (英語). 23 June 1829. p. 1157.
^ a b c d e f g h i Lodge, Edmund (1890). The Peerage, Baronetage, Knightage & Companionage of the British Empire (英語) (59th ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 32–33.
^ a b c d e f g h i j k l Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth P, eds. (1914). Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (76th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 135–136.
^ "Gordon, Henry Percy. (GRDN823HP)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
外部リンク