ジョージモナーク
ジョージモナークとは、日本の競走馬、種牡馬である。南関東公営競馬で活躍し、地方競馬所属馬として中央競馬の重賞である産経賞オールカマーを制し、ジャパンカップにも二度参戦した。 経歴1987年11月に競走馬としてデビュー。翌12月に2戦目で初勝利を挙げた。ジョージモナークを管理した赤間清松によると同馬は臆病ともいえる繊細さをもち、レースで競り合いになると弱い面があった。そのため赤間は1988年の1月のレースで3着に敗れたあと、同馬の精神面を鍛えようとハードな調教を課したが、調教中に右脚の第二臼骨を骨折。骨が3つに割れ、獣医師が安楽死させるべきだと主張するほどの重傷であったが馬主サイドの要望で治療が施され、まもなく自力歩行が可能な程度に回復。さらに1989年2月にはレースに復帰するほどの回復を見せた[1]。 復帰後は同年7月まで6連勝を飾ったがその後10戦して1勝と勝ちきれないレースが続くなか、陣営は当時の中央競馬における代表的な地方競馬招待競走であった重賞オールカマーへの出走を決定。17頭中単勝8番人気と評価は高くなかったが、マイペースの逃げを打ち2着と好走した。これを受けて陣営はジャパンカップへの出走を決定。前哨戦の富士ステークスでは1番人気となったが4着、ジャパンカップは15頭中15番人気で15着に敗れた。 翌1991年、地元大井競馬場の重賞関東盃を優勝し重賞初制覇を達成。続いて2年連続でオールカマーに出走した。レースでは終始3番手を進み、直線で逃げたユキノサンライズを交わして先頭に立つとホワイトストーンの追撃を振り切って優勝した。その後陣営は前年と同様のローテーションでジャパンカップに出走したが富士ステークスは3着、ジャパンカップは15着に敗れた。翌1992年も競走生活を続けたが勝利を挙げることはできず、3度目の出走となったオールカマー(5着)を最後に競走馬を引退した。 競走馬を引退したあとは種牡馬となったが目立つ活躍馬を出すことはできず、2003年に種牡馬を引退、2008年に死亡した。 競走馬としての特徴
血統表
脚注参考文献
外部リンク
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