ジョン・ファンテ
ジョン・ファンテ(John Fante、1909年4月8日 – 1983年5月8日)は、アメリカの小説家、脚本家。息子のダン・ファンテも小説家、詩人、劇作家である。 生涯1909年、コロラド州デンバーに生まれ、ボールダーで育つ。父はイタリアからの移民で石工、母はイタリア系の二世で熱心なカトリック。 1923年、デンバーのレジス・ハイスクールに入学。1927年夏に卒業し、コロラド大学に入学するも、早くも退学を決意し、私立図書館に通い詰める。この時に出会ったのが、「アメリカン・マーキュリー」誌の編集長ヘンリー・メリケンの作品だった。1928年秋に再び大学に登録するも、1929年に最低限の成績を取ることができなかったことで、大学を退学させられた。 友人とバックパックをし、カリフォルニアを目指す。大恐慌下で、長期間にわたり不安定な職を転々とする。1931年にロングビーチ市立大学に登録するも、成績はまたもや振るわなかった。 以後、作家を目指しながら、モーパッサン、ヘミングウェイ、ジョン・ドス・パソス、ニーチェ、シュペングラーなどを読み漁る。 1938年に出版された『バンディーニ家よ、春を待て』が、批評家たちに好意的に受け止められる。「サンフランシスコ・クロニクル」誌のジョーゼフ・H・ジャクソンは、その年の最高の一冊に選んだ。二か月後にはイタリア語にも翻訳された。 1939年11月には『塵に訊け!』が出版されるが、出版社の宣伝不足もあって販売部数は思うように伸びず、批評家の賛辞も得られなかった。1940年1月に自動車の交通事故。1940年9月には『デイゴ・レッド』が刊行され、「タイム」誌などが絶賛した。 1952年、当初『白い風船』の予定だった題を『満ちみてる生』としてリトル・ブラウン&カンパニーより刊行、1956年には映画化される。 1960年代後半、『満ちみてる生』の続篇というべき『犬と負け犬』を書き上げるも、出版社が見つからなかった。1974年には『葡萄の信徒会』が完成し、フランシス・フォード・コッポラ監督による映画化を探るも『地獄の黙示録』にかかりきりになっていたため進展せず、1977年に刊行。一方、健康状態は年を追うごとに悪化していっており、左足を切断する手術を受けることになる。緑内障の手術を受けるも、1978年には盲目となる。 晩年になり、チャールズ・ブコウスキーが働きかけたことによってブラック・スパロウ・プレスよりファンテの重要な作品が次々に再刊され、ようやく日の目を見ることとなった。 ウィリアム・サローヤンやウィリアム・フォークナーらと親しく、サローヤンの戯曲『君の人生の時間』のモデルともなった。 主な作品小説
死後に発表された作品
映画化された作品
日本語訳された作品
参考文献
|