第5代トリントン子爵 ジョン・ビング (英語 : John Byng, 5th Viscount Torrington 、1743年 2月18日 – 1813年 1月8日 )は、イギリス のグレートブリテン貴族 、イギリス陸軍 の軍人。爵位継承からわずか25日で死去した[ 1] 。存命中には無名な人物であり、死亡記事すら掲載されなかったが、1781年から1794年までつけていた日記が1930年代に出版されて注目を受けた[ 2] 。
生涯
第3代トリントン子爵ジョージ・ビング と妻エリザベス(Elizabeth 、旧姓ダニエル(Daniel )、1759年3月17日没、ライオネル・ダニエルの娘)の次男として、1743年2月18日に生まれた[ 1] 。ウェストミンスター・スクール で教育を受けたが[ 1] 、のちに出版された子爵自身の日記によれば、この時点で軍人としての道を歩むことが予想された[ 2] 。1753年1月25日に国王ジョージ2世 のページ・オブ・オナー (英語版 ) に就任、1760年3月25日までに退任した[ 3] 。
1760年1月11日にコルネット (英語版 ) (騎兵少尉)としてロイヤル・ホース・ガーズ (英語版 ) に入隊、1762年3月29日に第58歩兵連隊 (英語版 ) の大尉に昇進した[ 1] 。ただし、第58歩兵連隊は米州植民地に駐留しており、『オックスフォード英国人名事典 』はこれを名目上の任命にすぎないとしている[ 2] 。同年8月11日にグレナディアガーズ のLieutenant and Captain に転じ[ 1] 、七年戦争 のドイツ戦役に参戦した[ 2] 。1776年4月26日にCaptain and Lieutenant Colonel (中佐)に昇進したが[ 1] 、アメリカ独立戦争 に参戦しなかった[ 2] 。ちょうどこの時期に家計が悪化して、1777年11月に大陸ヨーロッパ に一時逃亡した上[ 2] 、1780年5月18日には軍務から引退した[ 1] 。
1782年6月1日から1799年まで印紙 委員(Commissioner of Stamps )を務めた[ 1] 。『完全貴族名鑑 』によれば、政治ではおそらくホイッグ党 に属した[ 1] 。
1812年12月14日に兄ジョージ が死去すると、トリントン子爵 位を継承した[ 1] 。しかし、わずか25日後の1813年1月8日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア (英語版 ) のテンターデン・ストリート(Tenterden Street )で死去、息子ジョージ (英語版 ) が爵位を継承した[ 1] 。
人物
『オックスフォード英国人名事典 』によれば、存命中には無名な人物であり、死亡記事すら掲載されなかった[ 2] 。死去から1世紀以上経過した1930年代になって、1781年から1794年までの日記が出版されたことで注目を受けた[ 2] 。この日記によれば、第5代トリントン子爵は度々馬に乗ってイングランド とウェールズ を旅しており、旅自体や道中でみた城、教会、邸宅の詳細を記録することが目的だという[ 2] 。ウィリアム・ウィンダム の日記によれば、ビングは1774年にウィンダムとともにイングランド中部 と北部 (英語版 ) を旅したが、トリントン子爵自身が記録を始めたのは1780年のことだった[ 2] 。
『オックスフォード英国人名事典』が評するところでは、上流社会の形だけの行為や退屈な場面、自身の財政難に直面したときは気難しく怒りっぽい一面もあるが、楽天家であり、「世界のあり方に喜び、その過ごしやすさに満足する」(to be pleased with the world, and content with its comforts 、子爵の日記から引用)よう努めた[ 2] 。
家族
トリントン子爵夫人ブリジット、リチャード・コスウェイ 画。
1767年3月3日、ブリジット・フォレスト(Bridget Forrest 、1748年洗礼[ 2] – 1823年4月25日、海軍軍人アーサー・フォレスト (英語版 ) の娘)と結婚[ 1] 、5男8女をもうけた。
ジョージ (英語版 ) (1768年1月5日 – 1831年6月18日) - 第6代トリントン子爵[ 4]
エリザベス・ルーシー(1770年8月15日[ 5] – 1846年1月18日) - 1797年9月26日、海軍軍人パーシー・フレイザー(Percy Fraser 、1827年12月9日没)と結婚。1836年8月10日、ジョージ・グディナフ・リン(George Goodenough Lynn )と再婚[ 4]
セシリア(1770年8月15日 – 1843年[ 5] ) - 1805年10月31日、ロバート・グレッグ=ホップウッド(Robert Gregge-Hopwood 、1773年11月30日 – 1854年7月19日)と結婚[ 4]
アンナ・マリア・ブリジット(1771年8月18日 – 1852年10月30日) - 1794年8月29日、聖職者チャールズ・ヘンリー・ホール (英語版 ) (1827年3月16日没)と結婚[ 4]
フランシス(1796年11月没[ 4] )
エドマンド(1774年 – 1854年4月5日[ 4] ) - 生涯未婚[ 6]
ジョン(1811年11月23日没) - 1806年11月5日、イライザ・アメリア・メイン(Eliza Amelia Mayne )と結婚、子供あり[ 4]
ブリジット・オーガスタ(1876年3月4日没[ 7] ) - 1800年7月9日、チャールズ・ハーバート閣下 (英語版 ) (1774年7月5日 – 1808年9月12日、初代カーナーヴォン伯爵ヘンリー・ハーバート と妻エリザベス (英語版 ) の次男)と結婚、1女をもうけた[ 8]
ヘンリー・ディルクス(Henry Dilkes 、1860年9月24日没) - 1810年、マリア・ジェーン・クラーク(Maria Jane Clerke 、1874年5月17日没、J・B・クラーク閣下の娘)と結婚、子供あり[ 4] [ 6]
フレデリック・ジェラルド(1871年6月5日没) - キャサリン・ネヴィル(Catherine Neville 、1871年12月8日没)と結婚、子供なし[ 6]
ジョージアナ(1788年 – 1856年7月23日) - ジェフリー・ホーンビー(Geoffrey Hornby 、1780年4月4日 – 1830年3月4日、ジェフリー・ホーンビーの三男)と結婚[ 4] 、子供あり[ 7]
ビアトリス・シャーロット(Beatrice Charlotte 、1848年3月12日没) - 1820年11月30日、聖職者コリン・アレクサンダー・キャンベル(Colin Alexander Campbell )と結婚[ 4]
ルーシー・ジュリアナ(1881年11月27日没[ 7] ) - 1809年10月5日、第2代準男爵サー・ジョン・モーリス (1775年7月14日 – 1855年3月4日)と結婚[ 4]
出典
^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward ; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton) . Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 792–794.
^ a b c d e f g h i j k l Innes, Joanna (3 January 2008) [23 September 2004]. "Byng, John, fifth Viscount Torrington". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/37252 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ Bucholz, Robert Orland, ed. (2006). "Index of officers: Br - By" . Office-Holders in Modern Britain (英語). Vol. 11. London: University of London. pp. 783–822. British History Onlineより。
^ a b c d e f g h i j k Lodge, Edmund (1858). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (27th ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 558–559.
^ a b Collen, Henry, ed. (1847). Debrett's Genealogical Peerage of Great Britain and Ireland (英語). London: William Pickering. p. 749.
^ a b c Lodge, Edmund (1907). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語). Vol. 2 (76th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 1718.
^ a b c Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 3 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2419.
^ Thorne, R. G. (1986). "HERBERT, Hon. Charles (1774-1808)." . In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月4日閲覧 。
外部リンク