第4代チェッドワース男爵の肖像画、1804年。
第4代チェッドワース男爵 ジョン・ハウ (英語 : John Howe, 4th Baron Chedworth 、1754年 8月22日 – 1804年 10月29日 )は、グレートブリテン貴族 。
生涯
トマス・ハウ閣下(Hon. Thomas Howe 、1716年 – 1776年、初代チェッドワース男爵ジョン・ハウ の三男[ 1] )と妻フランシス(Frances 、旧姓ホワイト(White )、1722年[ 1] – 1778年2月17日、トマス・ホワイトの娘)の次男として、1754年8月22日にソールズベリー のセント・エドマンド教区(St. Edmund's )で生まれた[ 2] [ 3] 。1772年10月19日にオックスフォード大学 クイーンズ・カレッジ に入学[ 4] 、3年間在学したが、学位を修得しなかった[ 1] 。父の死後は母とともに母の実家近くのイプスウィッチ に引っ越した[ 1] 。
1781年10月7日に伯父ヘンリー・フレデリック・ハウ が死去すると、チェッドワース男爵 位を継承した[ 2] 。伯父のウィルトシャー とグロスタシャー における領地も継承したが、これらの領地を訪れることはほとんどなく、隠遁生活を過ごした[ 5] 。
ハーロー校 在学中より演劇と競馬への興味を持ち[ 5] 、死後に出版されたシェイクスピア 作品に関する覚書では演劇に対する真剣さがみられた[ 1] 。競馬についてはジョッキークラブ の会員である一方、馬主 にはならず、賭博もしなかったという[ 1] 。
1804年10月29日に生涯未婚のままロンドン で死去、11月3日にイプスウィッチ のセント・マシューズ教会(St. Matthew's )に埋葬された[ 2] 。遺言通り、母の隣に埋葬された[ 5] 。後継者がおらず、爵位は廃絶した[ 2] 。遺言状で親族にほとんど遺産を残さず、友人のペンリス医師(Penrice )に多くの財産を与えたほか、ホイッグ党のチャールズ・ジェームズ・フォックス に3,000ポンドを与えた[ 5] 。遺言執行者と管財人にはグロスタシャー における領地を残し、これらの領地は分割された上で1811年に268,635ポンドで売却された[ 5] (うち、ストーウェル・パーク (英語版 ) の地所はサー・ウィリアム・スコット (英語版 ) が購入した[ 1] )。チェッドワース男爵の親族はチェッドワース男爵が精神異常であるとして遺言状に異議を唱えたが、ペンリスは1805年にチェッドワースのシェイクスピア 作品に関する覚書を出版し、チェッドワース男爵が精神異常でなかったことを証明した[ 5] 。
著作
Two Actions between John Howe, Esq., and G. L. Dive, Esq., tried by a Special Jury before Lord Mansfield at the Assizes holden at Croydon, August 1781 (1781年、ロンドン、パンフレット[ 5] )
A Charge delivered to the Grand Jury at the General Quarter Sessions of the Peace for the County of Suffolk (1793年、イプスウィッチ 、パンフレット[ 5] )
Notes upon some of the Obscure Passages in Shakespeare's Plays; with Remarks upon the Explanations and Amendments of the Commentators in the Editions of 1785, 1790, 1793 (1805年、ロンドン ) - 死後、友人のペンリス医師による出版[ 5]
Letters from the late Lord Chedworth to the Rev. Thomas Crompton, written from January 1780 to May 1795 (1828年、ロンドン) - 友人トマス・クロンプトン(Thomas Crompton )により出版された、2人の間の手紙[ 5]
出典
^ a b c d e f g Parker, M. St John (3 January 2008) [23 September 2004]. "Howe, John, fourth Baron Chedworth". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/13957 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ a b c d Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 156–157.
^ Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 105–106.
^ Foster, Joseph , ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (E to K) (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 700.
^ a b c d e f g h i j Blacker, Beaver Henry (1891). "Howe, John (1754-1804)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 28. London: Smith, Elder & Co . pp. 88–89.
外部リンク