ジョン・デフランシスジョン・デフランシス(John DeFrancis、1911年8月31日 – 2009年1月2日)はアメリカ合衆国の言語学者。 中国語の文法教科書シリーズ、および東アジアの言語政策の研究で知られる。著書に『中国語:事実と神話』(Chinese Language: Fact and Fantasy) など。 生涯デフランシスはコネチカット州ブリッジポートに生まれた。1933年にイェール大学の経済学部を卒業したものの、大恐慌のために国内で職が得られなかったため、中国に渡り、北平で図書館員として働いた。 1936年に帰国し、再びイェール大学でジョージ・A・ケネディに、ついでコロンビア大学で中国学を学んだ。 1947年にジョンズ・ホプキンズ大学ペイジ国際関係大学院の助教の職を得た。1948年に中国の国語運動に関する博士論文を書いた。しかしマッカーシズムに対して院長のオーウェン・ラティモアを擁護したことが原因で、1954年に職を失った。デフランシスは赤狩りの嵐がおさまるまで大学に職を得られず、数学教師をして過ごした。 1961年に祖炳民(John B. Tsu)に招かれ、シートン・ホール大学の中国語研究教授(research professor)として全12冊の中国語教材を編集した。このシリーズは米国の代表的な中国語教材として長く使われた。 1966年にはハワイ大学の中国語教授に就任し、1976年に退官した。退官後は盛んに著作活動を行った。 北京ダックを喉につまらせたことが原因で2009年に死亡した[1]。 主な著作イェール大学出版局から出版された1960年代の中国語教材シリーズ[2] は中国語の初級・中級・上級の3冊の教科書(いずれもピンインのみで記されている)と、それぞれの漢字つきの本、読本(初・中級各2冊、上級1冊)、『毛主席語録』から構成される。初級の教科書と読本の4冊は1970年代に改訂版が出ている。 『ABC Chinese-English Dictionary』(1996)は、アルファベット順のコンピュータ化された(Alphabetically Based Computerized, ABC)中国語データをもとにした辞典シリーズの最初の出版物である。中国語学習ソフトウェア「文林」(Wenlin)にもこのデータが含まれている[3]。 デフランシスはアジアの言語政策に関する著書を数多く公にしている。
デフランシスは1935年に友人と半年かけてチンギス・ハーンの足取りをたどる冒険を行った。その時の旅行記が晩年にまとめられている。
脚注
外部リンク
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