ジョン・シュミット (アメリカンフットボール)
ジョン・シュミット(John Schmitt 1942年11月12日- )はニューヨーク州ニューヨークブルックリン区出身のアメリカンフットボール選手。1964年から1974年までニューヨーク・ジェッツ、グリーンベイ・パッカーズでプレーした。ポジションはセンター。 ホフストラ大学では1961年から1963年まで3シーズンに渡って先発出場し、1962年には大学初のポストシーズン(セメントボウル)出場を果たし、1963年にはオールアメリカンに選ばれた[1]。 1964年から1973年までの10年間をニューヨーク・ジェッツ(入団当時はAFL所属)で過ごした。入団3年目の1966年より全試合に出場した。1974年にグリーンベイ・パッカーズにトレードされシーズン終了後引退した[2]。 1968年シーズン、ジェッツがAFLチャンピオンとなり、1969年1月12日に行われたボルチモア・コルツとの第3回スーパーボウルでシュミットは先発出場しチームは優勝した。2008年にニューヨーク・デイリーニューズのインタビューに対して、スーパーボウルの際、彼は肺炎に罹っており、試合終了後のロッカールームで嘔吐したという[3]。 1968年、1969年にオールプロに選ばれた[1]。 スーパーボウルリング史上最大の番狂わせとして名高い、1969年の第3回スーパーボウルに優勝しスーパーボウルリングを獲得した。しかし1971年[3]ハワイのワイキキビーチでサーフィンをしていた際に海岸から400m離れた場所でリングを落としてしまった。海岸に戻ってリングが指から落ちたことに気づいた彼はシュノーケルや足ひれをつけて3時間ほど、リングを探したが見つけることはできなかった。その後ワイキキのライフガード、ジョン・エルンストバーグにリングは拾われ、1991年にエルンストバーグが亡くなり、1995年にはその妻も亡くなり、夫妻の大姪が遺品の中から見つけた。そして宝石商の鑑定の結果、シュミットが失ったスーパーボウルリングであることが判明した。2011年、宝石商はニューヨーク・ジェッツのオフィスに連絡を取り、ロングアイランドに住むシュミットにこのニュースを知らせた。こうしてシュミットが紛失したスーパーボウルリングは40年ぶりに彼の手に戻ることとなった[4]。 脚注
外部リンク
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