ジョスリン・アングロマ
ジョスリン・アングロマ(Jocelyn Angloma, 1965年8月7日 - )は、フランス海外県グアドループ・レザビーム出身でフランス代表、またはグアドループ代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF(右サイドバック)。現在はグアドループ代表の監督を務めている[3]。 経歴フランスの海外県グアドループで生まれ育った彼は地元のチーム、エトワール・モルヌ・ア・ローのユースチームでサッカーを始めた[4]。フランスリーグのスタッド・レンヌでリーグ1デビュー、2シーズンで公式戦48試合に出場した[4]。1987年にLOSCリールに移籍し、3シーズンを103試合に出場し、13得点を記録した[4]。1990-91シーズンはパリ・サンジェルマンでプレーした。オリンピック・マルセイユのタピ会長が強く獲得を望み、1991-92シーズンにマルセイユに加入した[4]。このシーズンにリーグ制覇。翌1992-93シーズン、バジール・ボリ、マルセル・デサイーと強固なDF陣を形成し、ACミランを破ってUEFAチャンピオンズリーグを制した[4]。クラブが八百長による制裁で2部降格となると、1994-95シーズン、トリノに移籍した。アベディ・ペレと再びチームメートとなった。ネド・ソネッティ監督が就任して以降は、監督の戦術にはまり、良い活躍を見せた[4]。このシーズンの1月25日、トリノダービーのユヴェントス戦では決勝ゴールを決めた[4][5]。しかし翌シーズン、チームは年間16位となり、セリエB降格となった[4]。これにより1996-97シーズン、インテルナツィオナーレ・ミラノへと移籍、UEFAカップでは決勝に進出したが[4]、PK戦で敗れた。このシーズン、レギュラーとして年間46試合の公式戦に出場した[4]。 1997-98シーズン、バレンシアに加入し、そのシーズンはコパ・デルレイで優勝を果たした[4]。1998-99シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャを制した[4]。1999-2000シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、決勝でレアル・マドリードに敗れ、2000-01シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、FCバイエルン・ミュンヘンに延長PKで敗れた。2001-02シーズン、出場機会は殆ど無かったが、リーグ優勝を果たし、現役を引退した[4]。 2006年にユース時代を過ごしたエトワール・モルヌ・ア・ローで復帰、その初シーズンを優勝で飾っている。 1990年10月13日、ユーロ予選のチェコ・スロバキア戦でフランス代表としてデビュー[4]。1992年、1996年度の欧州選手権にも出場した。通算37試合に出場した[4]。 2006年からはグアドループ代表としてもプレー(グアドループはFIFA未加盟のため、2カ国以上の代表としてプレーできないという規則が適用されないため)。翌年開催されたCONCACAFゴールドカップでは格上のカナダ、ホンジュラスを破り、ベスト4進出を果たした。 タイトル
脚注
外部リンク
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