ジュリアノ・タデュー・アランダ

マグロン
名前
本名 ジュリアノ・タデュー・アランダ
Giuliano Tadeo Aranda
愛称 マグロン
ラテン文字 MAGRÃO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1974-02-21) 1974年2月21日(50歳)
出身地 サントアンドレ
身長 192cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1994 ブラジルの旗 SEパルメイラス 8 (1)
1995 ブラジルの旗 ゴイアスEC 13 (10)
1996 ブラジルの旗 コリチーバFC
1996-1997 日本の旗 ヴェルディ川崎 23 (19)
1998 ブラジルの旗 SEパルメイラス 11 (1)
1999 スペインの旗 CDバダホス 5 (0)
1999 ブラジルの旗 グレミオFBPA 14 (5)
2000 ブラジルの旗 ボタフォゴFR 15 (1)
2001 ブラジルの旗 ADサンカエターノ 23 (11)
2002-2004 日本の旗 ガンバ大阪 63 (42)
通算 175 (90)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マグロン(Magrão)こと、ジュリアノ・タデュー・アランダ(Giuliano Tadeo Aranda、1974年2月21日 - )は、ブラジルサンパウロ州サントアンドレ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションフォワード

経歴

ブラジルの名門SEパルメイラスを経て、1996年途中にヴェルディ川崎に加入。三浦知良と2トップを組み、加入初戦の18節清水エスパルス戦でゴールを挙げるなど、途中加入ながら公式戦23試合16得点という驚異的な記録を残した。しかし翌1997年は、リーグ戦9試合で6得点を挙げたが、1stステージ終了後に退団した。

その後、ブラジル、スペインのチームを転々とした後、2002年ADサンカエターノからガンバ大阪に完全移籍。当時はJリーグに少なかった192cmの長身を生かしたヘディング、ポストプレーで活躍[1]。この年、2節の京都パープルサンガ戦で移籍後初ゴールを含めて2得点を挙げた[2]。8節の清水エスパルス戦では4ゴールを挙げるなど[3]、リーグ戦で22ゴールと抜群の得点力を発揮した(得点王は26ゴールの高原直泰)。翌年の2003年は、得点自体は15ゴールと減ったが、ポストプレーでチームの起点となるプレーで2年連続でガンバ大阪のエースとして活躍した。しかし2004年は、怪我の影響で10試合で5得点に留まり、この年限りで引退した。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1992 パルメイラス 5 1
1993 1 0
1994 2 0
1995 ゴイアス 13 10
1996 コリチーバ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 V川崎 - J 14 13 6 2 3 1 23 16
1997 22 9 6 4 0 0 0 13 6
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1998 パルメイラス 11 1
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1998-99 バダホス セグンダ 5 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1999 グレミオ 14 5
2000 ボタフォゴ 15 1
2001 サンカエターノ 23 11
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 G大阪 9 J1 29 22 8 6 2 1 39 29
2003 24 15 4 2 2 1 30 18
2004 10 5 5 1 0 0 15 6
通算 ブラジル
日本 J1 86 61 27 11 7 3 120 75
スペイン 5 0
総通算

その他の公式戦

タイトル

クラブ

パルメイラス
ヴェルディ川崎
グレミオ

個人

代表歴

出典

  1. ^ 美学貫くガンバ大阪・宮本監督…再登板の日は訪れるか”. 産経新聞 (2021年5月18日). 2024-3-)閲覧。
  2. ^ Jリーグ2002 8節”. Data J League. 2024年3月9日閲覧。
  3. ^ Jリーグ2002 2節”. Data J League. 2024年3月9日閲覧。

関連項目

外部リンク