ジュネーヴ学派ジュネーヴ学派(ジュネーヴがくは)は、フェルディナン・ド・ソシュールの影響を受けたジュネーヴ大学の言語学者の学派をいう。これとは別に文学評論家にもジュネーヴ学派というグループがある。 代表的な言語学者
これにルドルフ・エングラー (1930-2003) を加えることもあるが、エングラーはジュネーヴ大学では活動していない[1]。 カルツェフスキーは後にプラハ大学に移り、プラハ学派にも属する。ソシュールの考えをプラハに伝える役割を果した。 活動ジュネーヴ学派(École genevoise de linguistique)という名前は、1908年にバイイが使ったのがはじめであるという[1]。ソシュールの影響を受けたという以外、かならずしも主張が共通しているわけではない。 バイイとセシュエによりソシュールの『一般言語学講義』が1916年に出版された。またソシュールの論文集は1922年に出版された[2]。 バイイらによって1940年にジュネーヴ言語学会が創立され、その機関誌『カイエ・フェルディナン・ド・ソシュール』(Cahiers Ferdinand de Saussure)を1941年以来刊行した。ジュネーヴ言語学会は1956年に解散したが、フレエが中心になってその後も『カイエ』は刊行されつづけている。 ジュネーヴ学派の主要な言語学上の主張は、ゴデルの『A Geneva School Reader in Linguistics』にまとめられている[3]。 文学評論家フランス語で「groupe de Genève」(ジュネーブ・スクール)という表現が、1950年代から1960年代にかけての文学評論家のグループにも示された。その中でとくに重要な人物としてベルギーの評論家であるジョルジュ・プーレ(Georges Poulet)やフランスの評論家Jean-Pierre Richard、そしてスイスの批評家マルセル・レイモンド、アルバート・ベギン、ジーン・ラセット、ジーン・スタロバンスキーらで、評論家のエミール・ステイガー、ガストン・バチェラード、J.ヒリスミラーなどもこのグループに関連人物として挙げられることもある。この「ジュネーブスクール」は、ロシア形式主義と現象学(エドマンドフッサールの作品など)から発展し、現象学の手法を利用して、著術者の意識といった深い構造まで、文学作品を分析しようとする一派である。 参考文献
脚注
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