ジュゼッペ・デ・ファブリス
ジュゼッペ・デ・ファブリス(Giuseppe de Fabris、1790年8月19日 - 1860年8月22日)は、イタリアの彫刻家である。教皇グレゴリウス16世(1765-1846)らの支援を受けて、ローマなどで働き、バチカン美術館の館長も務めた[1]。 略歴イタリア北部現在のヴィチェンツァ県のノーヴェで生まれた。父親は大きな陶磁器工場の工場長で[2] 、1806年に一家はヴィチェンツァに移り、そこでジャコモ・シエザ(Giacomo Ciesa)という画家のアトリエを頻繁に訪れて学び、肖像画家のジョルジョ・ベルティ(Giorgio Berti: 1794-1863)とも知り合った。1808年にはミラノに移り、建設中のミラノのドゥオーモの作業場で働き、ミラノのブレラ美術アカデミーで学んだ。1813年にアカデミーから賞を受け奨学金を受けてローマに留学することができた。 ローマではヴェネツィア宮殿にあった絵画学校(Scuola del Nudo)で学び、新古典主義の彫刻家、アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)のもとで修業した。1822年にカノーヴァが亡くなった後、1823年にヴェネツィアに行き、カノーヴァの埋葬記念碑の制作に従事し始め1826年に完成した。 1825年に即位した教皇ピウス8世(1761-1830)やその後継のグレゴリウス16世の庇護を受け[3]、教皇の胸像や、モニュメントを制作した。 1847年から1849年の間、ローマのアカデミア・ディ・サン・ルカの会長を務めた。バチカン美術館の館長も務めた。 1860年にローマで没した。 作品
脚注
参考文献
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