ジャンジャコモ・グェルフィジャンジャコモ・グェルフィ(伊: Giangiacomo Guelfi, 1924年12月21日- 2012年2月8日)はイタリアのバリトン歌手。ラツィオ州 ローマ出身。 経歴当初、フィレンツェ大学で法律を学んでいたが声楽に転じ、1950年のスポレートでの声楽コンクールに優勝し、同年スポレートのヌォーヴォ劇場でヴェルディの『リゴレット』の題名役でデビューした。1951年9月にはヴェネツィアのフェニーチェ劇場にヴェルディの『アッティラ』のエッツィオ役で出演。1952年のローマ歌劇場によるカラカラ浴場でのヴェルディの『アイーダ』にアモナスロ役で出演後は、1970年代半ばまで毎年のように同役で出演した。 スカラ座には1952年3月17日にフアン・ホセ・カストロの "PROSERPINA E LO STRANIERO" でデビューした。その後スカラ座の常連となり、1953年のカタラーニの『ラ・ワリー』、1956年の『アイーダ』、1963年の『カヴァレリア・ルスティカーナ』、1966年の『ナブッコ』などシーズン開幕公演にも4回出演している。 イタリア以外でも1957年にロイヤル・オペラ・ハウスに『トスカ』でデビュー、1965年にはウィーン国立歌劇場に『アンドレア・シェニエ』で出演。1970年2月にメトロポリタン歌劇場に『トスカ』でデビューするなど世界的に活躍した。 1980年のローマ歌劇場での『トスカ』にて引退した。 日本には、1956年の第1次NHKイタリア歌劇団で来日し『アイーダ』と『トスカ』を歌った。とりわけ『アイーダ』のアモナスロ役での歌唱は、第2幕の "Suo padre. Anch'io pugnai" での凄まじい声の威力で日本の聴衆の度肝を抜いたと言われる。1961年の第3次NHKイタリア歌劇団においても、第1次公演で評判となった『アイーダ』と『トスカ』に加えて、『アンドレア・シェニエ』を歌っている。 2012年2月8日にボルツァーノにて、87歳で死去。 録音1950年代から1970年代にかけて、数多くのライブ録音が存在するが、スタジオ録音は以下となる。
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