ジャングロ
ジャングロ(欧字名:Jean Gros、2019年3月2日 - )は、アメリカ生産、日本調教の競走馬[1]。2022年のニュージーランドトロフィーの勝ち馬である。 馬名の意味は、JRAの競走馬情報には「人名より」と登録されているが、実際には高級ワイン、ドメーヌ・ジャン・グロが由来である[2]。藤田は自身のInstagramで「今年の2歳は全員ワインの名前になっている。勝利に備えてドーヴネやジャン・グロのワインを確保しようとしたら希少すぎて全然手に入らず、もっとポピュラーなワイン名にすればよかったと少し後悔している」と投稿している[3]。 デビュー前2019年3月2日、アメリカ合衆国にて誕生[1]。父は2000年にキングズビショップステークスを勝ったモアザンレディ。母の父は1986年にウッドメモリアルステークスなどG1を4勝したブロードブラッシュである。全兄に2016年の米G2ウッディスティーヴンスステークスなど重賞3勝を挙げたTom's Readyがいる[4]。 戦績2歳(2021年)8月22日、小倉競馬場芝1200mにて武豊鞍上でデビュー[5][6]。3枠4番からのスタート。道中先頭集団でレースを進めるが3着に終わった。 次走は1週間後の8月29日の未勝利戦。浜中俊に乗り替わり、コースも芝からダートに変更。二番手でレースを運んだが2馬身離されて2着[7]。 3戦目は、2か月の休養を取り10月24日の未勝利戦。舞台が阪神に替わり、武が再び騎乗、コースも芝に戻し、距離も伸ばした。このレースからハナを取る走方になった。4コーナーでママコチャに先頭を取られまたもや2着[8]。 4戦目は、前走から3週あけて出走。鞍上は引き続き武豊。単勝オッズ1.8倍と高い人気を集め4戦目にして初勝利を飾った[9]。レースは、逃げ切り勝ちで2着とは3馬身1/2差であった[10]。 中1週空けて5戦目、1勝クラスのベゴニア賞に出走。距離は1600mに延長し、疲れもあるのか6着で終わった[11]。 6戦目は、前走から2週空けオープン特別の中京2歳ステークスに出走。単勝オッズは3.6倍の2番人気に推された。初勝利と同じく逃げ切り勝ち。2着のウインマーベルとは3馬身1/2差で走破タイムの1:08.4は2016年にショウナンマッシブが記録したタイムを0.1秒縮めるレコード勝ちだった[12][13]。 3歳(2022年)7戦目は、2月27日のマーガレットSに1番人気支持されて出走。逃げ馬が多くスタートから激しい先行争いの中、5走ぶりに控える形に追走。直線で好位からスパートをかけ、1馬身半差つけて連勝[14][15]。 8戦目、初重賞競走にNHKマイルカップのトライアル競走であるニュージーランドトロフィーが選ばれた。人気はシンザン記念で勝利を挙げたマテンロウオリオン、3歳1勝クラス勝利のティーガーデンに続いて3番人気で出走。また、2戦目となるマイル戦となった。好スタートでハナを奪うと、最終直線でマテンロウオリオンが迫って叩き合いになるも見事3連勝で重賞制覇を飾った[16][17]。馬主藤田晋にとっても初重賞制覇となった。レース後のインタビューで武は、「一旦マテンロウオリオンに出られましたが、差し返しました。」と勝負強さを語った[18]。 9戦目は、5月8日のNHKマイルカップに出走。東京ということもあり距離が不安視される中、スタートでゲートにぶつかり出遅れ最後方からの競馬となった。道中位置を上げずに直線に入ると外に持ち出し、上がり二位タイの33.8秒の脚で追い込むも0.6秒差の7着に敗れた[19]。 9月7日、スプリンターズステークスの前哨戦、セントウルステークスに出走予定だったが、左前脚の捻挫により出走回避した[20]。 4歳(2023年)年が明け1月4日に再入厩した後は、主にプール調教を中心として調整を進めた。当初は目標が定まっていなかったが、7月30日のアイビスサマーダッシュが復帰戦に決定、実に1年3カ月ぶりの出走となった[21]。本番では新たに戸崎圭太騎手を鞍上に迎え出走。真ん中3枠から先団に取り付いたが、そのまま弾けずシンシティとの同着6着となった[22]。レース後、森秀行調教師は「隣の2頭がゲート内で悪く、あおられて、出がもうひとつになってしまった。もう少しゲートを出れていれば、最後まで踏ん張れたと思うが、長期休養明けのなかよく頑張ってくれた」とコメントした[23]。 アイビスサマーダッシュ後は在厩で調整を進め、鞍上を武豊に戻してセントウルSに出走。本番はゲートで若干の出負けや、外から切れ込んできたテイエムスパーダ、ボンボヤージらの影響を受けた結果位置が下がり、中団前目の内で足をためながらの追走となった。直線では中ほどまで前が開かずに追い出しが遅れ、6着入線となった[24]。レース後武は、「(スタートを)出たらハナを狙っていたけど1歩目が速くなかった。それでも道中の感じは悪くなかった。直線は伸びそうだったがスパッと切れなかった」とコメントした[25]。 その後はスプリンターズステークスへ出走すべく調整を続けていたものの除外となり、翌週のオパールステークスに目標を切り替え、出走した。レースでは大外から三番手につけ、リズムよくレースを進めた。直線に入るといったんは先頭に並びかけたが、残り100メートルを過ぎたあたりから急激に失速し、キャリア初の二桁着順となる14着に大敗した[26]。 競走成績以下の内容は、JBISサーチ[27]およびnetkeiba.com[28]に基づく。
血統表
脚注出典
外部リンク |