ジャスティン・マークス
ジャスティン・マイケル・マークス(Justin Michael Marks, 1988年1月12日 - )は、アメリカ合衆国・ケンタッキー州デイビース郡オーエンズボロ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入り前2006年のMLBドラフト37巡目(全体1123位)でボストン・レッドソックスから指名されたが、ルイビル大学へ進学。 アスレチックス傘下時代2009年のMLBドラフト3巡目(全体92位)でオークランド・アスレチックスから指名され契約。ルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックスでプロデビュー。デビュー戦では先発起用されたが、1回に3安打6失点4四球と乱調し、1死も取れず降板した。この年は1試合の登板にとどまった。 2010年はA級ケーンカウンティ・クーガーズでプレーし、20試合に登板して3勝12敗・防御率4.92・119奪三振の成績を残した。7月にA+級ストックトン・ポーツへ昇格。5試合に登板して3勝1敗・防御率4.58・17奪三振の成績を残した。 ロイヤルズ時代2010年11月10日にデビッド・デヘスースとのトレードで、ビン・マザーロと共にカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[1]。 2011年はA+級ウィルミントン・ブルーロックスでプレーし、28試合に登板して8勝8敗・防御率3.98・140奪三振の成績を残した。 2012年はAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズでプレーし、17試合に登板して3勝5敗・防御率3.80・73奪三振の成績を残した。8月にAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ昇格。唯一の登板で1.2回で9失点を喫し、0勝1敗・防御率48.60の惨憺たる結果だった。オフの11月20日にロイヤルズとメジャー契約を結んだ[2]。 2013年はAA級ノースウエストアーカンソーで2試合に登板後、4月にAAA級オマハへ昇格。24試合に登板して6勝13敗・防御率4.58・117奪三振の成績を残した。 2014年はAAA級オマハで開幕を迎え、4月17日にメジャーへ昇格した[3]。4月20日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビュー。4点ビハインドの6回表から登板したが、2回を投げ4安打3失点3四球だった[4]。4月21日にAAA級オマハへ降格した。6月2日にDFAとなった。 アスレチックス・レンジャーズ傘下時代2014年6月6日に金銭トレードで古巣・アスレチックスへ移籍した[5]。移籍後はAAA級サクラメント・リバーキャッツでリリーフとして4試合に登板して防御率0.00だった。6月20日に40人枠から外れ、同日にウェイバーでテキサス・レンジャーズへ移籍した[6]。AAA級ラウンドロック・エクスプレスで5試合に登板したが、メジャーへ昇格することはなく、7月25日に自由契約となった[7]。 ダイヤモンドバックス傘下時代2014年11月13日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、17日に傘下のAAA級リノ・エーシズへ配属された[8]。2015年はメジャー昇格は無く、AAA級リノで28試合(先発19試合)に登板して5勝9敗・防御率5.63・84奪三振の成績を残した。オフの11月7日にFAとなった[8]。 レイズ時代2016年1月19日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結び、4月7日にAAA級ダーラム・ブルズへ配属された[8]。9月6日にメジャー契約を結んで昇格した。2シーズンぶりのメジャー復帰となった同年は、4試合に登板して防御率1.00だったが、9.0イニングと同数の9四球を与え、制球力に課題を残した。オフの11月7日にFAとなったが、12月22日にマイナー契約で再契約し、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[8]。5月5日にメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りしたが[8]、当日のトロント・ブルージェイズ戦に、11⁄3回を投げ被安打2、被本塁打1、失点・自責点1に終わり[9][10]、翌6日にDFAとなった[8]。 ドジャース時代2017年5月9日、ウェイバー公示を経てロサンゼルス・ドジャースに移籍した[8][11]。ドジャースではメジャー昇格はないまま6月9日にDFAとなり、11日にマイナー契約でAAA級オクラホマに配属された[8]。 詳細情報
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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