ジミー・チェンバレン
ジミー・チェンバレン(Jimmy Chamberlin、1964年6月10日-)は、アメリカ合衆国のドラマー。オルタナティヴ・ロック・バンド、スマッシング・パンプキンズのドラマーとして活動。 来歴生い立ちアメリカ合衆国イリノイ州の中都市、ジョリエットで6人兄弟の1人として生まれる。父はジャズ・バンドでクラリネットを、兄はドラムをプレイするという音楽一家で育つ。 9歳の時にドラムを始め、15歳の時には地元のバンドで演奏するようになる。様々なバンドを転々とした後、友人にビリー・コーガンを紹介され、スマッシング・パンプキンズに加入することになる。当時、ジミーは大工をしていたが、スマッシング・パンプキンズの活動に集中するため、ほどなくして仕事を辞めている。 スマッシング・パンプキンズ→詳細は「スマッシング・パンプキンズ」を参照
スマッシング・パンプキンズが成功への歩みを進める一方で、ジミーは深刻なヘロイン中毒に陥っていた。ツアー中のある日、ホテルの部屋で一緒に麻薬をやっていたバンド・サポーターのジョナサン・メルヴィンがオーバードーズしてしまう。同室で摂取していたジミーは逮捕され、この一件によりバンドを解雇された。 その後、元スキッド・ロウのセバスチャン・バックのソロ・プロジェクトに参加するが、程なくしてスマッシング・パンプキンズに呼び戻され、2000年の解散までドラマーを務めた。 ズワン - ジミー・チェンバレン・コンプレックス→詳細は「ズワン」を参照
解散後はビリー・コーガンと行動を共にし、2001年にはズワンを結成するが、このバンドは短命に終わり、アルバム1枚を発表した後の2003年に解散した。 2004年には自ら新プロジェクト「ジミー・チェンバレン・コンプレックス」を立ち上げ、翌年にはアルバムを発表した。 スマッシング・パンプキンズ再結成 - 現在2006年にスマッシング・パンプキンズが再結成されると、ジミーはビリーと共に参加。アルバムを制作し、これをサポートするツアーにも参加するも、2009年に脱退を表明[1][2]。 今後は自身のバンド、ジミー・チェンバレン・コンプレックスの一員として音楽活動を続けることを表明したが、2015年にサポート・メンバーとしてスマッシング・パンプキンズに復帰し、2018年よりは三度正式メンバーとして復帰した[3]。 プレイスタイル元々はジャズ・ドラマーだったこともあり、ジャズとロックの双方から影響を受けている。ジミーによると、ロック・ドラマーではキース・ムーン、ジョン・ボーナム、イアン・ペイスが、ジャズ・ドラマーではトニー・ウィリアムス、エルヴィン・ジョーンズ、そしてジーン・クルーパが彼のプレイスタイルに大きな影響を及ぼしている[4]。 オンライン・マガジンのGigwise誌は、2008年にジミーを偉大なドラマーランキングの第5位に選出した[5]。このランキングには、ジミーが憧れるドラマーも多数ランクインしている。 2010年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」に於いて第53位。 ディスコグラフィスマッシング・パンプキンズ
サイド・プロジェクト
参加アルバムフランク・カタラーノ
その他
脚注外部リンク |