シャルル・イタンジュ
シャルル=ユベール・イタンジュ(Charles-Hubert Itandje, 1982年11月2日 - )は、フランスのセーヌ=サン=ドニ県ボビニー出身のカメルーン代表の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 来歴クラブフランスカメルーン人の家系に生まれたイタンジュは、1997年から2001年にかけてレッドスターFC93の下部組織及びトップチームに在籍し、2001年にRCランスでプロデビュー(当時のレッドスターはフランスアマチュア選手権2所属)以降レギュラーとして活躍し、リーグ戦170試合・欧州カップ戦に21試合出場した。 リヴァプール2007年夏にペペ・レイナの控えを務めていたスコット・カーソンがアストン・ヴィラFCへ長期ローンで移籍したため、その後釜としてリヴァプールFCに移籍した[1][2]。その際にイタンジュは「リヴァプールに素晴らしいGKがいて、自分が第2GKなのははっきりしている。だが、シーズンは60試合もあり、そのことでフットボールリーグカップとFAカップで出番があるだろう」と語った[3]。同年9月25日のリーグカップ・レディングFC戦(4-2)でデビューを果たし[4]、最終的にこのシーズンはリーグカップに3試合, FAカップに4試合出場した。 2008年夏にガラタサライSKからのオファーを断った[5]ものの、程なくしてジエゴ・カバリエリが加入したことで第3GKに序列が下がり出場がない日々が続いたため、2009年1月に退団を望み新たなクラブを探していた[6]。
2009年4月、ヒルズボロの悲劇の20周年目となる追悼式の最中にチームメイトにジョークを言っている姿がテレビカメラに放送された[7]。これに対し14日間の謹慎処分が下され、イタンジュは遺族やサポーターに謝罪した[8]。その後、リヴァプールでの出場は1度もなく退団することが決定し、アトロミトスFCへ移籍する際に"すみません。すみません。すみません。何千回でも謝りたい、すみません。クラブ、ファン、特に犠牲者の家族に深く謝罪します"と再び謝罪をした[9]。
2009年8月29日にシーズン終了までAOカヴァラへ貸し出され[10]、ジェリコ・カラッツと正GK争いを繰り広げながら19試合に出場し、9試合を無失点に抑えた。
2010年6月30日にリヴァプールに復帰。契約は2011年1月まで残っていたものの、レイナ、ブラッド・ジョーンズのみならず、リザーブチームのペーテル・グラーチ、マルティン・ハンセンに次ぐ5番手の立場となったため、次のクラブを模索し始めた。 ギリシャ、トルコ2010年12月8日にリヴァプールと契約解除し退団することが発表され、2011年1月1日に自由移籍でギリシャのアトロミトスFCに加入[9]。OAKAで行われたギリシャカップのAEKアテネ戦(0-3)でデビューした。 2013年1月29日にPAOKテッサロニキへ2年契約で移籍[11]。半年前にアトロミトスからPAOK去ったギオルゴス・ドニス監督の後を追う形となった。 2013年、コンヤスポルにレンタル移籍し、2015年にチャイクル・リゼスポルに移籍したことを皮切りに2016年にはガズィアンテプスポル、2017年からはアダナスポルに移籍するなど、トルコのクラブでプレーを続けた。 引退2018年、フランス全国選手権3(5部)のFCヴェルサイユ78に移籍。1シーズンプレーした後に現役を引退した。 代表U-21フランス代表に出場したイタンジュは、2006年夏にクラブで安定したパフォーマンスを披露していたことからA代表の合宿に招集された[12]。 2010年10月にカメルーン代表でプレーすることをFIFAから許可され[13]、2013年3月の2014 FIFAワールドカップ・アフリカ予選・トーゴ戦(2-1)でデビューした。 個人成績
代表歴出場大会試合数
脚注
関連項目外部リンク
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