ザールラント州
ザールラント州(ザールラントしゅう、ドイツ語: Saarland, フランス語: Sarre)は、ドイツの連邦州の中西部の南方にある州。石炭の産地で、産業の要所であった。フェルクリンゲンの製鉄所跡は、ユネスコの世界遺産に登録されている。 第一次世界大戦後は国際連盟の管理下に、第二次世界大戦後はフランス領管理下に置かれた。1950年5月9日、フランスのモーリス・シューマン外相は、ザールの石炭資源などを西ドイツとの間で共同管理する内容を盛り込んだ「シューマンプラン」を提唱、西欧6カ国から承認を得る[1]など影響力の確保に邁進。親ドイツ政党を禁止するなどの政治的弾圧を行い、住民投票によってこの地域を独立させようとしたが、投票では住民が独立を拒んで西ドイツ(当時)への復帰を選択した。1957年1月1日に西ドイツに復帰した。 地理ドイツの西南部に位置しており、北と東はラインラント=プファルツ州に、南はフランスのロレーヌ地方に、西端はルクセンブルクに接する。近年は、ロレーヌおよびルクセンブルクとの国境を越えた地域協力が盛んである。 文化ルクセンブルク、ラインラント=プファルツ州西部(コブレンツ以西のコッヘムとトリーアやアーヘンも含む)と同様に、フランス文化の影響を濃厚に残している特徴がある。逆にフランス東端部のアルザス地方はドイツ文化の要素を濃厚に残している。 また、国民の中にはフランス語で日常会話をしている者もいる。 政治州議会州議会 (Landtag) は一院制で定数は51。2022年3月27日に行われた州議会選挙での、各党の「得票率/獲得議席数(前回2017年選挙からの増減)/議席占有率」は以下の通りである。
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2009年8月の選挙後に州レベルでは初となるCDU・自由民主党 (FDP)・同盟90/緑の党の「ジャマイカ連立」[注釈 1]が成立したが、閣内不一致から任期満了を待たずに崩壊、州議会を解散して連立の組み直しを図ることになった。 選挙の結果、CDUは第一党の座を守ったものの、最有力の連立パートナーであるFDPは過去最低の得票率1.2%に留まり、阻止条項を突破できず全議席を失った。そのため改選前から4議席上積みしたSPDとの大連立政権を選択することになった。なおこの選挙でドイツ海賊党がベルリンに次いで2例目となる州議会進出を果たしている[2]。 2017年の州議会選挙では、CDUは議席を伸ばしたものの過半数に届かず、SPDは微減に留まった。一方、緑の党と海賊党は議席を失い、極右政党のドイツのための選択肢が3議席を獲得した[3]。この結果、CDUとSPDの大連立政権が継続することとなった。 2022年、SPDは、前年の国政での政権交代以来初となる地方選挙として臨み、23年ぶりに勝利を獲得。ショルツ連邦首相の権力基盤が強化された。いっぽう、CDUは議席を減少させ、オスカー・ラフォンテーヌ元州首相が創立者の一人であることから一定の地盤を有していた左翼党は阻止条項を下回り、全議席を失った。 歴代州首相
地方行政州は、以下の5つの郡、および、郡と同等の都市連合 (Stadtverband) からなる。
その他の都市
シンボル
州の紋章と旗は、法律によって1956年7月9日に制定され、1957年1月1日から施行された。 紋章は、下部が半円形の盾を4分割して、それぞれにザールラントの州域をかつて統治していた領邦君主の紋章を描く。
州の旗は、黒・赤・金のドイツ国旗の中央に、州の紋章を配置したものである。黒・赤・金は州の色でもある。第二次世界大戦後、ドイツに復帰するまでの間は、フランス国旗と同じ青・白・赤を使って、スカンディナヴィア十字がデザインされた旗を使用していた。 脚注注釈出典
関連項目
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