サーサーン朝のエジプト征服 (サーサーンちょうのエジプトせいふく)は、618年 から621年 にかけてサーサーン朝 が行った東ローマ帝国領エジプト に対する侵攻である。東ローマ帝国領エジプト内のアレクサンドリア は陥落し、東ローマ・サーサーン戦争 はサーサーン朝に優位な展開となる[ 3] 。
背景
サーサーン朝 国王ホスロー2世 は、フォカス によるマウリキウス 打倒後発生した東ローマ帝国内の混乱に乗じて、東方のローマ帝国諸州を攻撃した。615年までに、サーサーン朝はローマ帝国軍にメソポタミア 北部、シリア 、パレスチナ などで勝利していった。西アジア・アフリカにおけるローマ帝国の支配を終わらせようとするホスロー2世は、その次にエジプトを狙った[ 4] 。
エジプトの陥落
サーサーン朝のエジプト征服は617年か618年に始まったが、この征服の詳細についてはほとんど知られていない、 というのも、エジプトはローマ帝国本土から遠かったため、あまり資料がないのである[ 5] 。サーサーン朝軍はアレクサンドリア に向かったが、ヘラクレイオス の従兄弟で地方総督であった東ローマ帝国軍将軍ニケタス (英語版 ) は敗北してしまう。ニケタスはカルケドン派 の正教会(ギリシャ正教)アレクサンドリア総主教 ヨハネス5世エレモン (英語版 ) とともにキプロス に逃れた[ 4] 。『フーゼスターンの年代記 』によると、619年6月、東ローマ帝国はペテロという人物に裏切られたとされている[ 6] [ 7] 。サーサーン朝軍は、アレクサンドリアから海岸沿いの道を西に9マイル離れたエナトン (英語版 ) の修道院にも攻撃を行った。
アレクサンドリア陥落後、サーサーン朝軍はナイル川 に沿って南方に戦線を拡大した[ 5] 。その後抵抗運動が勃発したため、鎮圧も幾度か行ったが、621年までに安定したサーサーン朝の支配が確立された[ 9] 。
影響
エジプトはその後10年間、シャフルバラーズ のもとサーサーン朝による統治下に置かれる 。その後東ローマ皇帝ヘラクレイオス が再度サーサーン朝に侵攻を開始した際、形勢は逆転。ホスロー2世 は破れ、シャフルバラーズは支配地域からの撤退を命じられたものの抵抗していた[ 2] 。
しかしホスロー2世はコンスタンティノープル包囲戦 などでも敗北したシャフルバラーズ側に失望。シャフルバラーズの暗殺を命じる。しかし暗殺を命じる書簡を持つ伝令は、東ローマ帝国兵に捕縛。書簡はヘラクレイオスにまわった。ヘラクレイオスはこの書簡をシャフルバラーズに見せ、シャフルバラーズはその内容を見て、ヘラクレイオス側につくことを決めるのであった[ 10] 。
そしてシャフルバラーズとヘラクレイオスは結託しエジプトからサーサーン朝軍を撤退させること、そして王位を奪うことを目標として攻撃を開始。629年夏、サーサーン朝軍はエジプトから撤退することとなる[ 2] 。
脚注
^ “EGYPT iv. Relations in the Sasanian period – Encyclopaedia Iranica ”. www.iranicaonline.org . 2019年8月9日 閲覧。 “The occupation of Egypt, beginning in 619 or 618 (Altheim-Stiehl, 1991), was one of the triumphs in the last Sasanian war against Byzantium.”
^ a b c Howard-Johnston (2006), p. 124
^ A. J. Butler, The Arab Conquest of Egypt, (1902). Reprinted (1978) by Oxford University Press, ISBN 0-19-821678-5
^ a b Frye (1993), p. 169
^ a b Dodgeon et al. (2002), p. 196
^ Dodgeon et al. (2002), pp. 196, 235
^ Howard-Johnston (2006), pp. 10, 90
^ Howard-Johnston (2006), p. 99
^ Kaegi 2003 , p. 148
参考文献
Kaegi, Walter Emil (2003), Heraclius: Emperor of Byzantium , Cambridge University Press, ISBN 0-521-81459-6 , https://books.google.com/books?id=tlNlFZ_7UhoC .
Dodgeon, Michael H.; Greatrex, Geoffrey; Lieu, Samuel N. C. (2002). The Roman Eastern Frontier and the Persian Wars (Part I, 226–363 AD) . Routledge. pp. 196–97. ISBN 0-415-00342-3 . https://books.google.com/books?id=zoZIxpQ8A2IC
Frye, R. N. (1993). “The Political History of Iran under the Sassanids” . In Yarshater, Ehsan; Bailey, Harold. The Cambridge History of Iran . Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-20092-9 . https://books.google.com/books?id=Ko_RafMSGLkC
Howard-Johnston, James (2006). East Rome, Sasanian Persia And the End of Antiquity: Historiographical And Historical Studies . Ashgate Publishing. ISBN 0-86078-992-6 . https://books.google.com/books?id=1U4rUaLdYnQC
Juckel, Andreas (2011). "The Enaton" . In Sebastian P. Brock ; Aaron M. Butts; George A. Kiraz ; Lucas Van Rompay (eds.). Gorgias Encyclopedic Dictionary of the Syriac Heritage: Electronic Edition . Gorgias Press. 2019年10月23日閲覧 。
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