サン・カンディド
サン・カンディド(イタリア語: San Candido ; ドイツ語: Innichen イニヒェン)は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ自治県にある人口約3,300人の基礎自治体(コムーネ)。 オーストリア領東チロル(チロル州リエンツ郡)との境界に位置するコムーネで、鉄道と道路が国境を越える。 地理位置・広がりボルツァーノ自治県東部、アルタ・プステリア地方 (it:Alta Pusteria) のコムーネで、オーストリアとの国境に位置する。ブルーニコから東南東へ約27km、リエンツから西南西へ約38km、県都ボルツァーノから東北東へ約75km、州都トレントから北東へ約115kmの距離にある[4]。 隣接コムーネ隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のAT-7は、オーストリア・チロル州所属を示す。
地勢サン・カンディドとドッビアーコの間にアルプスの分水界があり、その東に位置するサン・カンディドは、ドナウ川の集水域となっている。町内に源を発するドラーヴァ川(ドラウ川)はドナウ川の支流である。 市街の南方には、バランチ山 / ハウノルド山 (Baranci / Haunold, 2966m) をはじめとするハウノルド山群 (de:Haunoldgruppe) の山々がそびえる。この山地はドロミティ山地の一角に当たる。 歴史8世紀にサン・カンディド修道院 (Innichen Abbey) が建設された。当時、この地域はフライジングの司教領 (Prince-Bishopric of Freising) に含まれていた。修道院そのものは1785年に閉鎖された。 1691年にはフランシスコ会の修道院が建設され、こちらは現在も存続している。 1803年の帝国代表者会議主要決議により、フライジング司教領の「世俗化」が行われ、この地域はチロル伯領 (County of Tyrol) (ハプスブルク君主国の一部)に含まれることとなった。第一次世界大戦後の1919年に結ばれたサン=ジェルマン条約により、イタリア王国領となった。 行政分離集落サン・カンディドには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
Comunità comprensorialeボルツァーノ自治県が設けた行政区画 Comunità comprensoriale では、ヴァル・プステリア / プスタータール (Puster Valley) (中心地: ブルーニコ)に属する。 住民言語2011年に行われた、住民がドイツ語・イタリア語・ラディン語のいずれの「言語集団」に属するかの調査によれば(ボルツァーノ自治県#言語集団調査参照)、住民の約85%がドイツ語話者であり、イタリア語話者も約15%いる[5]。 交通鉄道
イタリアの鉄道路線はサン・カンディド駅 (it:Stazione di San Candido) でオーストリア国鉄ドラウ谷線と接続する。 道路
サン・カンディドの市街を貫いて東西にSS49号線ヴァル・プステリア街道が走る。SS49号線はプラート・アッラ・ドラヴァにおいて、オーストリア国道B100号線(ドラウ谷街道) (de:Drautal Straße) に接続し、東にリエンツに至る。 SS49号線からは東南にSS52号線が分かれる。SS52号線はセストからカドーレ谷(ベッルーノ県北東部)を経由しカルニア地方(ウーディネ県北西部)に至る。 姉妹都市
脚注
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