サンドラ・シュミット
サンドラ・シュミット(Sandra Schmitt、1981年4月26日 - 2000年11月11日)は、ドイツの女子モーグル選手である。 1999年3月にスイスのマイリンゲン・ハスリベルクで開催された第7回フリースタイルスキー世界選手権のデュアルモーグルで優勝するなど、世界のトップクラス選手として活躍していた[2]。しかし、2000年11月11日にオーストリアのカプルンで発生したケーブルカー火災事故に遭遇して死去している[3][4]。 経歴生い立ちメルフェルデン=ヴァルドルフの出身[1][4]。両親は熱心なスキー愛好家で、シュミットも7歳からスキーを始めた[4]。1994年、ドイツスキー協会のトレーナーはシュミットの才能に注目して「彼女は最高の選手になれる」と両親に話している[4]。 1997年 - 1998年1997年1月17日、当時15歳のシュミットはチェコのスピンドレルフ・ムリンで開催されたフリースタイルスキー・ヨーロッパカップのデュアルモーグルで初優勝を果たした[2][5]。翌日のモーグルでも2位に入り、同年1月25日にシャンペリ(スイス)で開催された大会でもデュアルモーグルで優勝した[2][6]。なお、ヨーロッパカップ以外の1997-1998季の主な成績では、フリースタイルスキー・ワールドカップで1998年3月10日のHundfjaellet(スウェーデン)大会のデュアルモーグル3位が最高成績であった[2][7]。 1998年に開催された長野オリンピックの女子モーグルでは、ドイツ代表として出場した[8]。女子モーグル種目は、飯綱高原スキー場を会場として1998年2月8日(予選)、2月11日(決勝)という日程で実施された[9][10]。出場した28選手中で決勝に進めるのは、予選上位16選手までとなっていた[9][11]。シュミットは2月8日の予選で総得点22.63点の記録で6位につけ、決勝に進んだ[11]。2月11日の決勝では、日本の里谷多英が総得点25.06点で金メダルを獲得し、以下タチアナ・ミッターマイヤー(ドイツ)、カーリ・トロー(ノルウェー)が続いた[12]。シュミットは総得点23.67点と予選より得点を伸ばしたが、結局9位となって入賞はならなかった[9][12]。 1999年 - 2000年1999年2月27日にユヴァスキュラ(フィンランド)で開催された国際ユース選手権では、モーグルで優勝した[2][13]。同年3月14日、マイリンゲン・ハスリベルク(スイス)で開催された第7回フリースタイルスキー世界選手権のデュアルモーグルではカーリ・トローや上村愛子などを抑えて優勝した[2][14]。 シュミットがワールドカップで初優勝したのは、1999年1月16日のスチームボート(Steamboat Springs、アメリカ)大会(デュアルモーグル)だった[2][15]。通算では、ワールドカップで5回優勝し、世界選手権で1回優勝している[2]。そのうち、2000年1月29日と1月30日の両日に開催されたワールドカップ斑尾大会ではデュアルモーグル(1月29日)、モーグル(1月30日)で連勝した[2][16]。 ワールドカップなどで好成績を続けたシュミットは、2002年開催のソルトレークシティオリンピックで有力なメダル候補として期待されていた[4]。しかし、世界のトップクラス選手となったシュミットの死は、突然のことであった[3][4]。2000年11月11日、当時19歳のシュミットは、両親とともにオーストリアのカプルンで発生したケーブルカー火災事故に遭遇して死去した[3][4]。 脚注
外部リンク
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