ゴリアド郡 (テキサス州)
ゴリアド郡(ゴリアドぐん、英: Goliad County)は、アメリカ合衆国テキサス州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は7,210人であり、2000年の6,928人から4.1%増加した[1]。郡庁所在地はゴリアド市(人口1,908人[2])であり[3]、同郡で人口最大の都市でもある。ゴリアド郡は1836年に設立され、郡名はメキシコの自治体であるゴリアドから採られ、そのゴリアドの町は「メキシコ独立の父」ミゲル・イダルゴ神父に因む命名だった。"Goliad" というのは"Hidalgo" の綴りを組み替えたものであり、無声音の"H"は取れた。ゴリアド郡はビクトリア大都市圏に属している。 歴史1835年12月20日、テキサス独立宣言がゴリアドで署名されたが、正式の宣言はワシントン・オン・ザ・ブラゾスで開催された1836年会議で行われた。テキサス革命の間には、ゴリアドで2つの戦闘が起こった。初期のゴリアドの戦いは小競り合いだった。しかしその後のコレトの戦いは、1836年3月27日を頂点とする重要なものになった。ジェイムズ・ファニン大佐とそのテキサス兵部隊が、メキシコのアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍の命令で処刑され、これは後にゴリアドの虐殺と呼ばれるようになった。この後テキサス革命軍の鬨の声は「アラモを忘れるな、ゴリアドを忘れるな」になった。今日、アラモを知っている人は多いが、ゴリアドのことは忘れられている。虐殺が起きた場所はゴリアド州立公園とされ、ゴリアドの町のすぐ南にある。 ゴリアド郡はイグナシオ・サラゴサが生れた場所でもある。サラゴサは1862年5月5日に起きたプエブラの戦いで、侵略してきたナポレオン3世軍(メキシコ出兵)に対抗して撃退したメキシコ軍を率いた。この5月5日はシンコ・デ・マヨと呼ばれ、メキシコの祝日になっている。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は859平方マイル (2,224.8 km2)であり、このうち陸地854平方マイル (2,211.8 km2)、水域は6平方マイル (15.5 km2)で水域率は0.68%である[4]。 主要高規格道路隣接する郡
人口動態
都市と町未編入の町
教育ゴリアド郡の教育はゴリアド独立教育学区が管轄している 脚注
外部リンク |