コルビー・ラスムス
コルビー・ライアン・ラスムス(Colby Ryan Rasmus, 1986年8月11日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州マスコギー郡コロンバス出身の元プロ野球選手(外野手)。 経歴プロ入りとカージナルス時代2005年のMLBドラフト1巡目(全体28位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り。 2006年、2007年と2年連続でカージナルス傘下の最優秀マイナー選手に選出され[1]、ベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングでは2007年から3年連続でカージナルス傘下で最高評価を受けた[2]。 2007年シーズン終了後、カージナルスで中堅手を務めたジム・エドモンズのサンディエゴ・パドレスへのトレード移籍はラスムスに出場機会を与えるためと言われたが、2008年は開幕をAAA級メンフィス・レッドバーズで迎えた[3]。結局、メジャーに昇格することなくシーズンを終えた。 2009年4月7日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。4打数2安打を記録し、華々しいメジャーデビューを果たした。最終的には147試合に出場し、打率.251・16本塁打・52打点という成績を記録し、新人王投票では8位にランクインした[4]。 2010年は、前年よりも3試合少ない144試合の出場で、打率.276・23本塁打・68打点・12盗塁を記録し、いずれの部門でも2009年を上回る数字をマークした。一方、出場試合数を超える148三振を喫するなど、三振の多さが目立った。しかし、その他得点・安打・二塁打・三塁打・四球・出塁率・長打率・OPSなどの部門でも前年より優れた数字を残した為、野球面では飛躍したシーズンとなった。しかし、シーズン開幕前にラスムスがチームのGMに対し、出場機会が十分に確保出来ないのであればトレードして欲しいと、自身のトレードを要求した[5]。また、以前よりコルビーの父親であるトニー・ラスムスが、マイナーリーグで好成績を残していた息子のコルビーがメジャーに昇格していない事に対し、球団批判を行っているという事実もあった[5]。実際にシーズンが開幕すると、一定の出場機会が与えられていた為、不満を述べなかったラスムスだったが[5]、後半戦に若手選手のジョン・ジェイに出番が与えられた事に伴って出場機会が減少し始めると、再びトレードを要求した[5]。コルビーがトレードを要求した時期は、チームが首位に躍り出て、チーム・ファンともに意気が向上していた時期だったので、このコルビーのトレード要求は大きく批判された[5]。また、アルバート・プホルスもこの行いを非難した。これについて友成那智は自著の中で、「チームリーダーのプホルスが怒りを爆発させ、『そういうことを公然と言うヤツには来年ここにいてほしくない。チームメートへの侮辱にもつながることだからね。ウチはヤンキースに次ぐ名門球団なんだ。下から上がってきて間もないヤツが、なぜそんなことを言うのか理解に苦しむよ。口を閉じて自分の技量を磨くのがあいつのやるべきことだ。やり方が間違っている』と批判し、大きなニュースになった」と著している[5]。 ブルージェイズ時代2011年7月27日に、オクタビオ・ドーテル、エドウィン・ジャクソン、マーク・ゼプチンスキー、コーリー・パターソンとのトレードで、P.J.ウォルターズ、トレバー・ミラー、ブライアン・タレットと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した[6]が、移籍後は打率.173と大スランプに陥った。2チームを合わせても打率.225と大失速した。 2012年は23本塁打、自己最多の75打点をマークしたが、2年連続で打率2割2分台となる打率.223に終わった[7]。 2013年は118試合の出場にとどまり、メジャー昇格後では初めて規定打席に届かなかった。しかし、打撃は好調で自己2位となる打率.2757(自己最高は2010年の.2758)で、前年より150打席以上も減少しながら、22本塁打・66打点をマークした[7] 2014年1月17日にブルージェイズと700万ドルの1年契約を結んだ[8]。オフにFAとなった[6]。 アストロズ時代2015年1月21日にヒューストン・アストロズと1年契約を結んだ[9]。シーズン後半から活躍が目立ち、チームをプレーオフに導いた。10年ぶりのポストシーズン出場の初戦、ヤンキースとのワイルドカード ゲームでは田中将大から先制本塁打を放った。なお、レギュラーシーズンで放った25本塁打はキャリア最高の本数である。同年11月2日にFAとなった[6]が、12日にクオリファイング・オファーを受け入れ、年俸1580万ドルの1年契約を結んだ[10]。 2016年は左翼手の中心格として107試合に出場し、打率.206・15本塁打・54打点という成績を記録。打率の低空飛行に歯止めが掛からなかったが、通算150本塁打に到達した。守備面では、左翼手で87試合に出場し、無失策・DRS +14を記録したが、レンジファクター(RF)は平均未満と今ひとつだった。中堅手(21試合)と右翼手(11試合)でも無失策・DRS +3を記録し、外野の全ポジションで無失策・DRS +20・さらに13補殺という成績を残した。オフの11月3日にFAとなった[6]。 レイズ時代2017年1月30日にタンパベイ・レイズと年俸500万ドルと打席数に応じた最大200万ドルの出来高払いの1年契約を結んだ[11]。臀部の手術のため、4月1日に10日間の故障者リスト入りした。5月2日に復帰したが、6月18日のデトロイト・タイガース戦を最後に欠場し、6月23日に左股関節腱炎で6月19日に遡って再び故障者リストに入った[6]。7月13日、「野球から離れたい」との本人からの申し出によりレイズは制限リストに入れた。「レイズはコルビーの野球からの脱却を全面的に支持している。チームへの貢献に感謝し、彼と彼の家族が最善を尽くすことを願っている。コルビーと彼の家族のプライバシーを尊重し、レイズはこれ以上のコメントはしない。」とレイズは声明で述べた[12]。オフの11月2日にFAとなった[13]。 オリオールズ時代2018年2月21日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[14]。3月29日にメジャー契約を結んで開幕25人枠入りした[15]。7月3日には前年に続いて制限リスト入りした[16]。オフの10月29日にFAとなった[6]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
獲得タイトル
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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