コチャニ
コチャニ(マケドニア語:Кочани / Kočani、発音:[ˈkɔtʃani] 音声 )は、マケドニア共和国東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、首都のスコピエから120キロメートルにある。市街地人口は2万8千人程度であり、自治体全域での人口は3万8千人程度ある。 地理と人口町はコチャニ川に沿って、コチャニ渓谷の北側に沿って広がっており、川はここで山の傾斜から離れ、渓谷の中を流れるようになる。町の北側はオソゴヴォ山(Osogovo、標高2252メートル)であり、8キロメートル南のプラチュコヴィツァ山(Plačkovica)まで渓谷は続いている。町は標高350メートルから450メートル程度である。 コチャニの市街地の面積は18.6平方キロメートルであり、人口は2万8千人を超え、マケドニア共和国東部では3番目の人口規模である。人口の推移は以下の通り:
人口構成民族別宗教別気候気候は温暖、大陸性であり、ブレガニツァ川(Bregalnica)に沿って地中海性気候の影響が及んでいる。年間平均気温は摂氏12.9度、年間降水量は538ミリメートルである。 歴史コチャニが初めて記された文献は1337年のものであり、ヨヴァン・オリヴェル公(Despot Jovan Oliver)がこの地を聖ドミトリイ教会に寄贈したことが記されている。 考古学的な発見により、この地には古代ローマ時代や中世の東ローマ時代にも人が居住していたことが確認されている。15世紀初頭にはこの町はオスマン帝国の支配下となった。トルコ人の旅行家エヴリヤ・チェレビは1662年にこの地を訪れ、町には600世帯が居住し、1つのモスク、1つのメスジド(小規模なイスラム礼拝堂)、1つの旅館、15の店があったと記している。18世紀から19世紀初頭にかけて、町は急速に発展した。1878年には450世帯から500世帯ほどであった人口はその後急速に拡大した。町には塔の姿をした2つの貴族屋敷が残されており、16世紀から17世紀ごろのものと考えられている。 みどころ郊外には古代から中世にかけての多くの遺産が残されている。その一つに古代遺跡ドルノ・グラディシュテ(Dolno Gradishte)がある。 近くのモロドヴィス村(Мородвис)とパンテレイ村(Пантелей)には古代の修道院が残されている。 特徴今日のコチャニは計画的に設計された現代的な町であり、通りは整備され、現代的な建物や集合住宅、ショッピングセンターがあり、新興工業地帯を有する。郊外の住宅は主に町から東に向かって広がり、オリザリ村(Оризари)のすぐそばまで拡大している。 友好都市コチャニは以下の町と友好都市提携を結んでいる。
脚注外部リンク
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