グルジア正教会
グルジア正教会(グルジアせいきょうかい)またはジョージア正教会[注 1](ジョージアせいきょうかい、グルジア語: საქართველოს მართლმადიდებელი სამოციქულო ეკლესია; Saqartvelos Samotsiqulo Avtokepaluri Martlmadidebeli Eklesia, 英語: Georgian Apostolic Autocephalous Orthodox Church)は、現在のジョージア共和国の中心部に「全ジョージアのカトリコス総主教」を長とする聖シノド(英語:Holy Synod)を置く、正教会の一員たる独立教会である。 正教会は一カ国に一つの教会組織をそなえることが原則だが(グルジア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ルーマニア正教会、ロシア正教会など。例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している[1]。 →正教会の教義や、全正教会に共通する特徴については「正教会」を参照
沿革→「イベリア王国のキリスト教化」も参照
4世紀に国教化した歴史の長い教会で、伝承による起源は初めてコーカサス地方(古代のコルキス Colkis、イベリア Iberia)へ宣教した1世紀のアンデレ(聖使徒アンドレイ)まで遡る。 他の聖伝では、熱心党のシモン(聖使徒シモン・カナニト)がコーカサスへ旅してグルジア西部へ宣教し、コマニ Comani 村のソフミ Sokhumi の近くへ埋葬されている。また、マティアス(聖使徒マトフィイ)がグルジア南西部へ宣教していたとも言われており、こちらはバトゥミの近郊のゴニオ Gonio 村に埋葬されている。使徒バルトロマイ(聖使徒ワルフォロメイ)とタダイ(聖使徒ユダ・ファデイ)がグルジアに来ていたことを主張する文書が幾つかある。 史料によって疑問の余地なしとされる大規模な宣教は、啓蒙者グレゴリオスと、グルジアの光照者:聖ニノ(ニーナとも)により4世紀の前半に行われた。 4世紀には独立正教会の地位を得たが、19世紀初頭にロシア帝国にグルジアが併合されると、その地位は破棄され、グルジアの教区はロシア正教会のもとに編入され、グルジアのエクザルフの職位が設けられた。1917年のロシア革命時に、グルジア正教会は独立を回復し、1943年にモスクワ総主教庁から、1990年にコンスタンディヌーポリ総主教庁から独立正教会としての承認を得た。 ロシア正教会やアルバニア正教会と同様、20世紀に共産主義政権によって弾圧を被ったが、ソビエト連邦の崩壊後は復興を遂げている。 現在の総主教は全グルジアのカトリコス総主教・ムツヘタとトビリシの大主教イリア2世である。 2009年、アブハジア正教会は自ら独立教会であると宣言した。 分類
脚注注釈
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