グウィディア男爵グウィディア男爵(英語: Baron Gwydyr)は、かつて存在したイギリスの男爵位。1796年に第2代準男爵サー・ピーター・バレルが叙されたが、1915年に廃絶した。 歴史イングランド銀行総裁を務めたサー・メリック・バレル(1699-1787)は、1766年7月5日にグレートブリテン準男爵位の(サセックス州ウェストグリンステッド・パークの)準男爵(Baronetcy, of West Grinstead Park in the County of Sussex)に叙せられた[1][2]。 この準男爵位には、初代準男爵の兄ピーター(1692–1756)の子孫にも相続を認める特別継承権が付されていた[2]。初代準男爵が1787年に子供のいないまま死去すると、兄の孫にあたるピーターが準男爵位を相続した[3]。 2代準男爵ピーター(1754-1820)は、アンカスター=ケスティーヴン公爵家令嬢のプリシラと結婚した[4]。その後、彼は1796年6月16日にグレートブリテン貴族としてカーナヴォン州グウィディアのグウィディア男爵(Baron Gwydyr, of Gwydyr in the County of Carnarvon)に昇叙した[4]。彼の妻は式部卿を世襲するアンカスター伯爵家の出身であったため、同職を務める彼女を補佐する副式部卿に就任して、実質的な職務を執った[5]。彼が没すると、その長男のピーターが爵位を襲った。 2代男爵ピーター(1782-1865)は襲爵後の1828年に母の死去に伴って、古いイングランド貴族爵位のウィロビー・ド・アーズビー男爵(Baron Willoughby de Eresby)を継承した[4][6]。 3代男爵アルビリック(1821-1870)は父同様に式部卿職を務めたが、生涯未婚であったため、グウィディア男爵位は叔父の息子ピーターが承継した[4][7]。他方、ウィロビー・ド・アーズビー男爵の爵位は2人の姉クレメンティナ・エリザベスとシャーロット・オーガスタ・アナベラの間で保持者不在となった[7]。(→以降の歴史は、ウィロビー・ド・アーズビー男爵を参照。) 4代男爵ピーター(1810-1909)は、1837年から1870年にかけて式部卿秘書官(Secretary to the Hereditary Lord Great Chamberlain)を務めた[4]。 その子である5代男爵ウィロビー(1841-1915)が死去した際に存命の男子がいなかったため、すべての爵位は廃絶した[4]。 なお、初代男爵の甥にあたるサー・ウィリアム・バレル(1732-1796)は舅より(エセックス州ヴァレンティン・ハウスの)準男爵(Baronet, of Valentine House, in the County of Essex)を相続して、その子孫が現在に至っている[8]。 サセックス州ホヴに位置する瀟洒なアパートメントであるグウィディア・マンションは第2代男爵ピーターに因む[9]。 一覧(ウェストグリンステッド・パークの)準男爵(1766年)
グウィディア男爵(1796年)
脚注
関連項目
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