キャピタイン (USS Capitaine , SS/AGSS-336 ) は、アメリカ海軍 の潜水艦 。バラオ級潜水艦 の一隻。艦名はフランス語 で「船長」を意味し、一般的にはフエフキダイ科 に属する魚の総称を表す。アメリカ公文書はノースカロライナからパナマに生息する鮮やかな種に因むと見なしているが、フエフキダイ科は西大西洋に生息しない。代わりにベラ科 のホグフィッシュがカリブ海 方面でキャピタインと呼ばれる。
ホグフィッシュ(Labre capitaine )
タテシマフエフキ(Capitaine à bandes oranges)
艦歴
キャピタインは1943年12月2日にコネチカット州 グロトン のエレクトリック・ボート 社で起工した。1944年10月1日にJ・A・ロンドマンスキー夫人によって命名、進水し、1945年1月26日に艦長アーネスト・S・フレデリック少佐(アナポリス 1937年組)の指揮下就役する。就役後太平洋艦隊 に配属されたキャピタインは、3月7日にニューロンドン を出航し、4月15日に真珠湾に到着した。
哨戒
5月6日、キャピタインは最初の哨戒で南シナ海 に向かった。しかしながら、この哨戒での敵との遭遇はごく僅かなものであった。この時点でアメリカ海軍は日本海軍 の大半の勢力を掃討していた。
それでも、キャピタインは6月6日に北緯12度04分 東経109度32分 / 北緯12.067度 東経109.533度 / 12.067; 109.533 の地点で最初の敵小型船を発見して魚雷を4本発射したが、命中しなかった[ 5] 。
6月16日、キャピタインは北緯10度47分 東経109度51分 / 北緯10.783度 東経109.850度 / 10.783; 109.850 の地点で他の艦によって沈められた日本商船の5名の生存者を救助した[ 6] 。6月19日にスービック湾 に到着して燃料補給を行ったあと[ 7] 、ボルネオ島 南方のジャワ海 で哨戒を継続した。
6月30日未明、キャピタインは潜水艦「バヤ (USS Baya, SS-318 )」と合流し、南緯06度29分 東経116度57分 / 南緯6.483度 東経116.950度 / -6.483; 116.950 の地点で敵の小型艇5隻に対して砲撃[ 4] 。キャピタインはそのうちの「Bandai Maru 」(不詳)を撃沈した[ 8] 。
7月2日にも、南緯06度30分 東経116度24分 / 南緯6.500度 東経116.400度 / -6.500; 116.400 の地点で駆潜艇 と思しき艦船を発見し、砲撃で撃沈した[ 9] 。7月13日、キャピタインは62日間の行動を終えてフリーマントル に帰投した[ 10] 。
8月7日、キャピタインは2回目の哨戒で潜水艦「パファー (USS Puffer, SS-268 )」および「ブルヘッド (USS Bullhead, SS-332 )」とウルフパック を構成し南シナ海に向かった[ 11] 。この哨戒では9月5日までジャワ海、南シナ海を偵察した後スービック湾に帰投する予定であった。「ブルヘッド」が8月6日にロンボク海峡 を通過したと報告し、キャピタインはそれより少し遅れてロンボク海峡を通過した[ 12] 。8月12日、キャピタインは自艦の8月13日の哨区到着を予定し、「ブルヘッド」に対しキャピタインと「パファー」の偵察ラインを翌日から引き継ぐよう通信を行ったが、これに対する「ブルヘッド」からの応答はなく、8月15日にキャピタインは「担当海域に到着以来、あらゆる手段を行っても『ブルヘッド』と連絡を取ることはできなかった」と報告した[ 12] 。当時、ジャワ海にはブルヘッド、キャピタイン、パファーのほかにイギリス海軍の潜水艦「タシターン (英語版 ) (HMS Taciturn, P314 )」と「ソーロウ (英語版 ) (HMS Thorough, P324 )」が「ブルヘッド」の担当海域と同じ位置に存在していた[ 12] 。「ブルヘッド」は、ロンボク海峡を通過した8月6日に九九式襲撃機 の爆撃で撃沈されていた。キャピタインが「ブルヘッド」との交信不能を報じた8月15日、戦争は終わった[ 13] 。8月21日、キャピタインは14日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[ 14] 。
キャピタインは第二次世界大戦 の戦功で1個の従軍星章を受章した。
戦後
キャピタインは9月に西海岸 に帰還したが、1946年1月に再び極東 へ赴き、3月までフィリピン 海域で訓練を行う。真珠湾での1ヶ月の作戦活動後サンディエゴ に帰還し、オーバーホール 後1947年と48年に2度の模擬哨戒を行う。その後は沿岸での作戦活動に従事した。キャピタインは1950年2月10日にメア・アイランド海軍造船所 で予備役となり保管された。1957年2月23日、キャピタインは再就役しその1ヶ月後に太平洋艦隊に合流した。母港のサンディエゴを拠点として、1960年まで艦隊の他の艦艇との対潜演習では標的艦任務に従事、また予備役兵の訓練も行い、第7艦隊 の任務で極東への巡航も行った。1960年7月1日、キャピタインは AGSS-336 (補助潜水艦)に艦種変更された。
イタリア海軍で
キャピタインは1966年3月4日に退役し、翌日イタリア へ貸与された。イタリア海軍 ではアルフレード・カッペッリーニ (Alfredo Cappellini, S-507 ) と改名して就役した。その後1977年12月5日にイタリアに売却され、アメリカ海軍を除籍された。
登場した映画
脚注
^ a b c d e f g h #Friedman pp.285-304
^ a b c d e f g h i #Bauer
^ a b c d e f #Friedman pp.305-311
^ a b #SS-336, USS CAPITAINE p.25,33
^ #SS-336, USS CAPITAINE pp.15-16, pp.31-32
^ #SS-336, USS CAPITAINE p.19
^ #SS-336, USS CAPITAINE p.21
^ “Chapter VII: 1945 ” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II . HyperWar. 2013年1月27日 閲覧。
^ #SS-336, USS CAPITAINE p.27,33,42
^ #SS-336, USS CAPITAINE p.30
^ #SS-336, USS CAPITAINE p.47
^ a b c #木俣敵潜1989 pp.181-182
^ #木俣敵潜1989 p.182
^ #SS-336, USS CAPITAINE p.51
参考文献
外部リンク