カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(イタリア語: Carlo Tancredi di Borbone-Due Sicilie, 1870年11月10日 - 1949年11月11日)は、スペイン王子(Infante de España)、また旧両シチリア王国の王家ボルボーネ=シチリア家の一員。スペイン語名はカルロス・タンクレド・デ・ボルボン=ドス・シシリアス(Carlos Tancredo de Borbón-Dos Sicilias)。最後の両シチリア王フランチェスコ2世の甥に当たる。 生涯両シチリア王フェルディナンド2世の四男カゼルタ伯アルフォンソと、その従妹で両シチリア王族のマリーア・アントニエッタの次男として生まれる。 1901年にマドリードで、スペイン国王アルフォンソ12世の王女マリア・デ・ラス・メルセデスと結婚した。父アルフォンソは嗣子のいないフランチェスコ2世の死後に両シチリア王家の家長となっていたが、カルロはこの結婚に際してその継承権を放棄し、代わってスペイン王子の身分を得た。2人の間には2男1女が生まれた(名前はスペイン名で記す)。
1903年にマリアと死別した後、1907年にパリ伯フィリップの娘ルイーズ・ドルレアンと再婚した。2人の間には1男3女が生まれた(上に同じ)。
両シチリア王家家長であった兄フェルディナンド・ピオに先立って死去した。1960年に死去したフェルディナンドは男子がおらず、家長の座を巡ってカルロの長男アルフォンソと、カルロの弟カストロ公ラニエーリが争う事態となった。以後もこの2人の子や孫の間で係争が続いている。 |