カイ・ハンセン
カイ・ハンセン(Kai Michael Hansen、カイ・ミヒャエル・ハンゼン 1963年1月17日 - )は、ドイツ出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。 同国のパワーメタル・バンド「ハロウィン」や「ガンマ・レイ」の設立に関わり、ジャーマンメタルの創生期から活動するプレイヤーの一人。 身長175cm。 略歴10歳の時、ドラムを始めるが、ほどなくしてギターに興味を示すようになる。 12歳のときにもらったクラシックギターがギタリストとしてのキャリアの始まり。 その2年後、バンドを結成。ジューダス・プリースト、ブラック・サバスなどに影響を受ける。 この時期に彼は初めてのエレクトリック・ギターを手に入れる。それは、アイバニーズ製の白いレスポールだったという。 1979年、友人のピート・シールク(現アイアン・セイヴィアー)と共にIron Fistというスラッシュメタルバンドを始める。 その後、ベースのマーカス・グロスコフ、ドラムのインゴ・シュヴィヒテンバーグ、脱退したピートに代わり加入したギタリストのマイケル・ヴァイカートを加え、ハロウィンを始動。 1985年にミニアルバム『Helloween』でメジャーデビュー後、翌年の1986年にオリジナルアルバム『Walls Of Jericho』を発表し、ハロウィンとしての活動を本格的に始める。 その後、ギターを弾きながら歌う現在のスタイルに限界を感じてきたカイは、新たに専任ボーカリストを迎える決断を下す。 そして、当時18歳だったマイケル・キスクが加入。 カイはコンポーザー兼ギタリストとして活動するようになり、1987年にアルバム『Keeper Of The Seven Keys Part 1』(邦題: 守護神伝 第一章)、1988年に『Keeper Of The Seven Keys Part 2』(邦題: 守護神伝 第二章)をリリース。 ヨーロッパのみならず、世界的なスターバンドへとのし上がる。 しかし1989年、肝臓の疾患を理由にハロウィンを脱退する。 その後、地元ハンブルクの大学で本格的に音楽理論を学び(この頃に後にガンマ・レイで共に活動する、ディルク・シュレヒターと出会う)、1990年に新たなバンド、ガンマ・レイとしてデビューアルバム『Heading For Tomorrow』を発表した。 1994年、ボーカリストのラルフ・シーパースの脱退に伴い、ハロウィン初期以来のボーカリスト兼任になる。 1997年、ガンマ・レイの活動と並行して、アイアン・フィスト時代からの旧友、ピート・シールクと共にアイアン・セイヴィアーを結成。 当初は彼ら二人のプロジェクトとしての色合いが強かったが、後にパーマネントなバンドとして本格的に始動する。 2002年、ガンマ・レイの活動に専念するため、アイアン・セイヴィアーを脱退。 2011年、かつての盟友マイケル・キスク率いるバンド、Unisonicに参加することを発表[1]。 2017年、マイケル・キスクと共に、古巣ハロウィンのワールドツアーに参加しリユニオンが実現[2]。翌2018年、このラインナップでジャパン・ツアーも実施し来日を果たした[3]。2021年にはアルバム『Helloween』の製作にも関わった。 その後もガンマ・レイとしての活動を継続しながら、ユニット活動・プロデュース活動も精力的に行う[4]。 夫人との間に子供がおり、息子のティム・ハンセンはINDUCTIONのギタリストとして活動している[5]。 エピソード
使用機材ハロウィン在籍中の頃からフライングVタイプを使用し続けており、特にESP製の自身のシグネチャーモデルであるサーモンピンクのランディVタイプ(初期はフェルナンデス製)がトレードマークとなっている。 2014年以降はガンマ・レイやユニソニックのツアーで、ギブソン・レスポール・カスタムも使用している。
ディスコグラフィーハロウィン (Helloween)
アイアン・セイヴィアー (Iron Savior)
ガンマ・レイ (Gamma Ray)
ユニソニック (Unisonic)
脚注
外部リンク |