オール・アバウト・イヴ
オール・アバウト・イヴ(All About Eve)は、イングランドのロック・バンドである。 最初のコア・メンバーは、コヴェントリー生まれのジュリアンヌ・リーガン(ボーカル)、ハダースフィールド生まれのティム・ブリッチェノ(ギター)、アンディ・カズン(ベース)で構成されていた。全英シングルチャートにおいて最高位に達したシングルは「Martha's Harbour」(1988年、10位)であった[1]。1984年から1993年までと、1999年から2004年までで活動し、4枚の英国トップ50アルバムを達成した。バンドはゴシック・ロック・スタイルの「ユニークでフォークロックの影響を受けた楽曲」で知られていた。リーガンは1980年代後半のシーンの「確かに才能のある歌手の1人」と言われている[2][3]。 略歴基盤元ジャーナリストのジュリアンヌ・リーガンは、ゴシック・ロック・グループ「Gene Loves Jezebel」[4]初期のラインナップで脱退する前にベースを担当していた。その際、Xマル・ドイッチラント、The Swarm(オール・アバウト・イヴの前身バンド)[5]のマヌエラ・ツウィングマンと一緒に在籍していた。オール・アバウト・イヴのバンド名は、ベティ・デイヴィス主演の1950年の映画『イヴの総て』から取られた[6]。オール・アバウト・イヴのオリジナル・ラインナップは、リーガン、ツウィングマン、元Aemotti Criiのギタリストであったティム・ブリッチェノ、ベーシストのガス・ファーガソンで構成されていた。バンドは、ツウィングマンとファーガソンが脱退する前、1985年にインディーズからシングル「D for Desire」をリリースし、後にファーガソンはテスト・デパートメントで成功を収めることとなった[7]。ブリッチェノはファーガソンの後任にアンディ・カズンを提案し、3ピース(+ドラムマシン)のバンドとして、「In the Clouds」(1986年)と「Flowers in Our Hair」(1987年)というシングルをリリースした。「D for Desire」と「In the Clouds」の両シングルは、時々コクトー・ツインズ、スージー・アンド・ザ・バンシーズの音楽と比較されるような、部分的なエーテル・ゴシック・サウンドに基づいていた[8]。 リーガンがザ・ミッションのアルバム『青い審判』のバック・ボーカルを歌ったことで[5]、バンドはより大きな注目を集め、フォノグラムと契約を交わす。この頃、ドラマーのマーク・プライスがメンバーに追加された。 デビューとチャートでの成功セルフタイトルのデビュー・アルバム(邦題『イヴの序曲』)は、ポール・サミュエル=スミスによってプロデュースされ、1988年にリリースされた。これには、全英ヒット・シングル「In the Clouds」「Wild-Hearted Woman」「Every Angel」「Martha's Harbour」[9]「What Kind of Fool」が収録されている[10]。 アルバム自体は全英アルバムチャートで7位に達し[11]、その叙情的な楽曲の多くは、ヒッピーの理想、白魔術、夢のようなメルヘンの世界が描かれ、穏やかなフォークロックにインスパイアされたポップ・サウンドから(「エンジェルズ (angels)」と呼ばれる)多くのファンを獲得した。彼らの音楽はメディアによってゴシック・ロックと見なされることもあった[12]。 バンドは後にBBCテレビの音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』にて「Martha's Harbour」を吹き替えで演奏することになったが、スタジオの技術的なエラーにより、バンドに音が届かないでいるうちに録音されたボーカルが放送され、その結果、BBC1のオーディエンスが録音されたバージョンの歌を聞いているのに、バンドのメンバーは画面上に静止して座ったままで、キューを待っている状態になってしまった[12]。そのときの補償として、バンドは番組に再び招待され、次の週にも歌を演奏した。今回はボーカルがライブで演奏された。このパフォーマンスは順調に行われ、結果として良い宣伝となり、シングルチャートを駆け上がる助けとなった[13]。 翌年にリリースされたセカンド・アルバム『スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ』は全英アルバムチャートで9位に達し[11]、バンドはイギリス中をツアーした。 1990年代までの活動1990年、ブリッチェノがグループを脱退(後にアルバム『ヴィジョン・シング』時代のシスターズ・オブ・マーシーや、その後のバンド、XC-NNやティン・スターに加入)し、チャーチのマーティー・ウィルソン=パイパーが代わって加入した[5][10]。1991年、アルバム『タッチ・バイ・ジーザス』をレコーディング(2曲でピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアのギターをフィーチャー)し、全英17位となった[11]。レコード・レーベルを変更して翌年にMCAレコードからリリースされたアルバム『ウルトラヴァイオレット』は、全英46位に達した[14]。その後もバンドは新しい楽曲の制作を続けたが、リーガンがすぐに脱退。残るメンバーはリーガンなしでさらに2か月間、バンドを続けたが、1993年初頭に解散し[10]、後に作業していたアルバムは「Seeing Stars」名義でリリースされた。 リーガンはマイスというバンドを作ったり、バーナード・バトラーと仕事したり、「Jules et Jim」プロジェクトでジャン=マーク・レーダーマンとチームを組んだりした。 1993年、ベーシストのカズンは、改編されたザ・ミッションに参加し、広範囲なツアーを行い、アルバム『ネヴァーランド』(1995年)と『Blue』(1996年)に貢献したもののバンドは再び分裂した[10]。 1999年、ウェイン・ハッセイが再びザ・ミッションを改編したが[15]、カズンのための空きはラインナップになかった(バンドの元ベーシストであるクレイグ・アダムスがベースの仕事を引き受けている)。カズンはリーガンにアプローチし、オール・アバウト・イヴを開放して再結成に誘うよう依頼した。申し出は受け入れられ、バンドはリーガン、カズン、ウィルソン=パイパーに加えて、ギター/キーボードのリック・カーター(カズンとザ・ミッションで一緒だった)とドラムのデル・フッドというラインナップで再結成された。このラインナップは2000年と2001年にツアーを行い、ユニオン・チャペルにて録音されたライブ・アルバム『ライヴ・アット・ユニオン・チャペル』をリリースした。さらに、リーガン、ウィルソン=パイパー、カズンは、主にアコースティック・トリオとして2年間、短いツアーを行い、2000年に『フェアリー・ライト・ナイツ』、2001年に『フェアリー・ライト・ナイツII (ライヴ・アコースティック)』というライブ・アルバムをリリースした[16]。 2002年、ウィルソン=パイパーは他のプロジェクトを追求するためにバンドを去り、かつてMallukaというバンドに在籍し、現在のSohodollsのメンバーである新しいギタリストのトニ・ハイミが代わって加入した。その年の後半、オール・アバウト・イヴは、リーガン、カズン、ハイミ、カーター、フッドというラインナップを含むライブ・アルバムとDVD『シネマソニック』をリリースした。『未発表曲集 (Return to Eden, Vol. 1: The Early Recordings)』と名付けられた初期の録音のコレクション・アルバムもリリースされた。 また2002年に、リーガンとカズンは10年ぶりとなるスタジオ・レコーディングをリリースした。EP『アイスランド』は「冬の歌」のコレクションで、「December」の再録音や、ワム!の「ラスト・クリスマス」、クイーンの「ウインターズ・テイル」、「ウォーキング・イン・ジ・エアー」といったカバー曲が収録された(1989年のオリジナル「December」シングルには、ジェスロ・タルの「The Witch's Promise」のカバー・バージョンが収録されていた)[17]。 その後カーターとフッドが脱退し、ベン・サヴィギアがドラムを引き継いだ。2004年半ば、10年ぶりのシングル「Let Me Go Home」のリリース直後に、バンドは再び分裂した。リーガン、カズン、ハイミ、サヴィギアのラインナップによる彼らの最後のギグは、英国ツアーの終わり、2004年4月30日にロンドンのミーン・フィドラーで行われた。この模様は撮影され、パフォーマンスのコピーはファンのウェブサイトから入手できた。 リーガンは、後にThe Eden Houseと仕事をした。2009年4月、リーガンはFacebookページで次のように述べている。「オール・アバウト・イヴは休眠状態であり、二度と活動しないかもしれません。決して言いたくはないのですが、私たちはみんな前進していて、他の道を模索しているような状態です」[18]。 シングルや、カギとなるアルバム曲、今までにリリースされていないレア曲、および新録音された曲で構成される『イヴの総て - オール・アバウト・イヴ・コレクション』というタイトルの2枚組CDコレクションが、2006年3月上旬にリリースされ、初回盤にはプロモーション・ビデオやテレビ出演時の映像を収めたDVDも付いていた。 2019年7月20日のアポロ11号月面着陸50周年を記念して、ジュリアンヌ・リーガンとティム・ブリッチェノは、「Pale Blue Earth」と呼ばれるビデオと歌を作成した。このペアは、2019年10月31日に「Seance」と呼ばれる別の歌とビデオをリリースした。どちらの曲もYouTubeで観ることができる。 リーガンはまた、「The Dadaists」と呼ばれるプロジェクトと一緒に仕事をしており、彼女がリード・ボーカルを担当する「Searching For Sorrow」という曲をリリースしている[19]。 メンバー
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
EP
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル
映像作品
脚注
書誌
外部リンク
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