コクトー・ツインズ
コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)は、1979年から1997年に活動したイギリス、スコットランドのロック・バンド。 ボーカルのエリザベス・フレイザーが「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第66位にランクインしている[1]。 初期1979年に、ロビン・ガスリー(Robin Guthrie、ギター)とウィル・ヘッジー(Will Heggie、ベース)がバンドを結成し、これに、地元のディスコで出会ったエリザベス・フレイザー(Elizabeth Fraser)がボーカルとして加わった。 バンドは、当時、ジョイ・ディヴィジョン、バースデー・パーティー、セックス・ピストルズ、スージー・アンド・ザ・バンシーズの影響を受けており、コクトー・ツインズというバンド名は、シンプル・マインズの初期の未発表曲に由来している。 1982年に4ADレコードからリリースされた彼らのデビュー・アルバム『ガーランズ』は、続くシングル「Lullabies」とともに直ちに成功を収めた。フレイザーの先例のない独特な、時に何を歌っているか判読しがたいボーカル・スタイルは特に注目を集めた。 1980年代中期1983年のセカンド・シングル「Peppermint Pig」発表後のツアーが終わって、ウィル・ヘッジーがグループを去った。バンドの最初の3作は、ヘッジーのリズミカルなベース・ライン、ガスリーのミニマリスティックなギター、フレイザーのボーカルの3つで成り立っていたが、2枚目のアルバム『ヘッド・オーバー・ヒールズ』では、後の2つだけに頼らざるを得なくなった。これはコクトー・ツインズの特徴的なサウンドを成長させることになった。このころから三拍子の曲が多くなる。フレイザーの声は幽玄と粗野が入り交じり、ガスリーの強いエフェクトがかかったギターと結びついた。前作とはまったく異なったものになったが、『ヘッド・オーバー・ヒールズ』はマスコミにも一般にも好評で迎えられた。 1983年に、コクトー・ツインズは4ADのディス・モータル・コイルのプロジェクトに参加し、そこでのガスリーとフレイザーによるティム・バックリィの「Song to the Siren」のカバーは大ヒットした。また、この作業中に彼らはサイモン・レイモンド(Simon Raymonde)に出会い、彼はこの年のうちにベースとしてグループに加わった。サイモンが加わったコクトー・ツインズは、サード・アルバム『トレジャー - 神々が愛した女たち』(1984年)、シングル「Aikea-Guinea」(1985年)等の評価の高い名作を続々とリリースした。 レイモンドは、ディス・モータル・コイルのセカンド・アルバムに関わっていたため、1986年のコクトー・ツインズの4作目のアルバム『ビクトリアランド』のレコーディングには参加していない。彼は、同年にハロルド・バッドと共作したアルバム『ムーン・アンド・メロディーズ』では、グループに戻っている。 コクトー・ツインズは、世界的には4ADにとどまっていたが、1988年にアメリカでの配給に関してついにメジャーレーベルのキャピトル・レコードと契約を結んだ。また、この年の10月には5枚目のアルバム『ブルー・ベル・ノール』をリリースした。 1990年代初期コクトー・ツインズが『ヘッド・オーバー・ヒールズ』で追求し始めたスタイルは、1990年後半にリリースされた6枚目のアルバム『ヘブン・オア・ラスベガス』で頂点に達した。このアルバムは商業的に最も成功したが、4ADの創始者アイヴォ・ワッツ=ラッセルとの諍いやガスリーのアルコールを含む薬物中毒等が原因で、バンドは4ADと袂を分かつこととなる。コクトー・ツインズは、英国その他ではマーキュリー・レコードのフォンタナ・レーベルと契約を結び、アメリカではキャピトルとの関係を維持した。 1993年にリリースされた7枚目のアルバム『フォー・カレンダー・カフェ』は、『ブルー・ベル・ノウル』や『ヘブン・オア・ラスベガス』での処理を重ねた複雑で重層的なサウンドから離れ、水晶のように透明でミニマルなアレンジが施された。これは、歌詞がはっきりと聞き取れることとも相まって、賛否両論を引き起こした。 1990年代中期と解散1995年に発売された2枚のシングルのうち、「Twinlights」はピアノとアコースティック・ギターとボーカルだけのアコースティックな曲であり、一方、「Otherness」はシーフィール(Seefeel)のマーク・クリフォード(Mark Clifford)との共作で、コクトー・ツインズの曲のエレクトロニックなリミックスであったが、ともにバンドのこれまでのシングルとはまったく異なったもので、実験的と評された。 1996年には、これらのシングルの曲を一部含む8枚目のアルバム『ミルク&キス』がリリースされ、そこから「Tishbite」と「Violaine」の2枚のシングルがカットされた(いずれもカップリング曲が異なる2バージョンがある)。バンドは精力的にツアーを行い、そこで披露された「Touch Upon Touch」がコクトー・ツインズの最後の曲となった。この曲のレコーディングはツアーの前に行われていた。 1997年の9枚目で最後となるはずだったアルバムのレコーディング中に、バンドは突如として解散した。部分的に録音され完成することができる曲もあったが、バンドはどんな形であれ完成されたり、リリースされることはないだろうと述べている。 2005年1月31日に、コクトー・ツインズは、4月30日の「Coachella Valley Music and Arts Festival」で再結成し演奏すると発表したが、これはフレイザーの個人的理由により3月16日にキャンセルされた。 メンバー
ツアー参加:
ディスコグラフィアルバム
コンピレーション・アルバム
シングル
関連項目脚注
外部リンク
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