オードナンス BLC 15ポンド砲
オードナンス BLC 15ポンド砲(Ordnance BLC[3] 15 pounder gun)は、旧式化したオードナンス BL 15ポンド砲の砲身上側に駐退機を追加し、発射速度を上げた近代化バージョン。当時最新であったQF 18ポンド砲の配備にはコストがかかるため、国防義勇部隊(Territorial Force )砲兵旅団に、比較的近代的な野砲を供給するために開発された。第一次世界大戦を扱った文章では、この砲を「15ポンド砲」と呼ぶことが多いが、同じ砲弾を使用するオードナンス BL 15ポンド砲との混乱もある。 歴史旧式の15ポンド砲身上部に、QF 13ポンド砲と同様に駐退機を装備する砲架を取り付けるため、多くの改造が実施された。旧式砲では砲身は砲耳を使って砲架に直接取り付けられていた。改造後、砲身は砲架と連結するための砲耳を持つ逆U型の鍛鉄製クレードルから吊り下げられた。砲身からは、砲耳、照準具装着架、仰角歯車取り付けラグが取り外された。砲身上部のT型着火穴は塞がれ、砲耳用の穴も鉄製ネジで塞がれ、タンジェント式照準具装着穴もホワイトメタル合金で塞がれた。 改造前には尾栓の開閉に3段階の操作が必要であったが、これも単一操作で開閉できる段隔螺式尾栓に変更され、また尾栓には着火穴が設けられた。 新しい着火メカニズムは、プッシュ式T型フリクション・チューブ(図 )が使われた。チューブは尾栓に後方から装着する。雷管発火用プッシュ・バーが組み込まれたT字のバー(図では右上側)が装着時には上向きになる。クレードルの左側には、尾栓の後方まで達する長いガードカバーが追加された。このガードに、バネ式の発砲ハンドルが取り付けられた。撃鉄を引いた後に開放すると、バネによって撃鉄は前方に移動し、尾栓の発火レバーを叩き、前方の動きが下方への動きに変換され、T型フリクション・チューブのプッシュ・バーが押されて雷管が発火し、薬室のコルダイト装薬に点火された。 2門が仰角を60度以上にすることにより、対空砲に改造された[4]。これらの方は、ケープタウンのフォード・ウィニヤードに配備された。 実戦BLC 15ポンド砲は、1916年からQF 18ポンド砲への更新が始まるまで、第一次世界大戦の全戦域において、イギリス国防義勇部隊、キッチナー陸軍及びカナダ陸軍歩兵師団で使用された。 王立カナダ野砲連隊第10砲兵中隊は、4門のBLC 15ポンド砲を装備していたが、1915年4月22日、第二次イーペルの戦い初日におけるサン=ジュリアン北方での戦闘において、ドイツ帝国陸軍のガス弾攻撃後の歩兵突撃に対して、イギリス軍左翼を保持するという特筆すべき活躍をした[5]。予定した役割 - 開けた土地での部隊に対する攻撃 - に対して訓練された部隊が運用する場合には、旧式になったとはいえBLC 15ポンド砲は十分効果的であった。しかし、軽量砲弾しか使用できなかったために、敵歩兵が開けた土地を避けた場合には、その使用には限界があった。 1916年後半以降は余剰となったが、通常の野砲としては新型砲が使用され、BLC 15ポンド砲は西部戦線において対戦車砲として固定使用された[6]。 王立駐屯砲兵部隊(RGA)第一キャメル中隊は、6門のBLC 15ポンド砲を装備し、英印軍(Indian Army during World War I)と共に、1915年から1918年の南アラビア作戰におけるアデン防衛戦に参加し、トルコ軍の進撃に対して重要港であるアデンを防衛した。1915年7月の戦いは、最初イギリスの敗北に終わったが、その後アデンへの水の供給拠点であるSheik Othmanを再占領した[7]。カーチス軍曹は、この戦闘で自身の砲を防御したことにより(おそらく担当する3門中2門は失われたが)、殊勲章を受章した[8]。1918年にイギリスがハツームを占領した際にも、キャメル砲兵中隊は参加した。 BLC 15ポンド砲は南アフリカ連合防衛部隊の標準野砲としても使用され、ケープ野砲連隊(Cape Field Artillery)と共に、カカマスの戦い(Battle of Kakamas )及び南西アフリカ作戰(South-West Africa Campaign)のウピントンの戦いに参加した[4]。 砲弾
現存砲
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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