オットー・シェンク
オットー・シェンク (Otto Schenk、1930年6月12日 - )は、オーストリアの俳優、演劇及びオペラの演出家である。 人生とキャリアカトリックの両親の元に生まれる。父親は弁護士であったがユダヤ系であったため、1938年のドイツによるオーストリア併合が原因で失職した。シェンクは、マックス・ラインハルト・ゼミナールで演技を学んだ後、ヨーゼフシュタット劇場及びウィーンのフォルクス劇場で俳優として、ウィーンのカバレット・ジンプルでコメディアンとしてのキャリアを開始する[1]。演出家としての仕事を始めたのは1953年、小さなウィーンの劇場であった。そこでの活動を足掛かりに、ブルク劇場、ミュンヘン室内劇場、ザルツブルク音楽祭といった著名な劇場で、ウィリアム・シェイクスピア、アルトゥル・シュニッツラー、エデン・フォン・ホルヴァート、アントン・チェーホフの演劇の舞台を手がけるようになる。 1957年、ザルツブルク州立劇場のモーツァルト作『魔笛』で、シェンクは初めてオペラの演出を行う。オペラ演出家としての飛躍のきっかけになったのが、1962年のアン・デア・ウィーン劇場におけるアルバン・ベルク作『ルル』であった。このプロダクションは、後にウィーン国立歌劇場へと場所を移して上演されることになる。シェンクのウィーン国立歌劇場デビューは1964年のレオシュ・ヤナーチェク作『イェヌーファ』であった[2]。 数シーズンにわたり、同歌劇場で常任演出家を務める一方で、シェンクはフリーランスの俳優・コメディアン、演出家として、オーストリア及びドイツの劇場、歌劇場、テレビ用のプロダクションで活躍する。1965年には、オーストリアのテレビ局に起用され、監督としてスターキャストとともにヴェルディの『オテロ』のスタジオ作品の制作に携わった。1970年代から1980年代には、シェンクはスカラ座、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスのほか、ドイツのベルリン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ハンブルク州立歌劇場等のドイツの歌劇場と契約し、モーツァルト、ガエターノ・ドニゼッティ、ジュゼッペ・ヴェルディ、アントニン・ドヴォルザーク、ジャコモ・プッチーニ、リヒャルト・シュトラウス、リヒャルト・ワーグナー、エルンスト・クルシェネク、フリードリヒ・チェルハといった作曲家らの作品の舞台演出を手がけた。先鋭的な読み替え演出が主流を占めつつあるドイツ圏では保守的にすぎるとの批判を受けることもあったが、『こうもり』や『ばらの騎士』のようにオーソドキシーが生きる演目では高い評価を受け続けた。 アメリカでは、メトロポリタン・オペラにおける、豪華で伝統的かつリアリスティックな舞台で特に知られている。シェンクのプロダクションのうち最も特筆すべきは、リヒャルト・ワーグナーによるオペラ、『ニーベルングの指輪』4部作で、伝統を重んじるワーグナーのオペラファンから、真のワーグナーのヴィジョンを反映したプロダクションであるとして喝采を受けた[1]。このメトのプロダクションは2009年に終了した。シェンクのメトロポリタン・オペラデビューはプッチーニの『トスカ』、2006年の最後のプロダクションとして、ドニゼッティ作『ドン・パスクワーレ』を手がけ、アンナ・ネトレプコが出演した。 シェンクは、30作を超える映画作品に登場している(主としてドイツ映画)。1973年には、アルトゥル・シュニッツラーの戯曲に基づき、映画『輪舞』の監督を務めた(ヘルムート・バーガー、 シドニー・ローム、 センタ・バーガー出演)。2013年現在ウィーンの室内劇場で、リリー・ブレット作『Chuzpe』を舞台化した作品で主演を務めている[3]。 監督・演出したオペラ作品(抜粋)
メトロポリタン・オペラでは、ニュルンベルクのマイスタージンガー、タンホイザー、エレクトラといった作品でシェンクのプロダクションを使用している。ウィーン国立歌劇場のフィデリオ、ばらの騎士、メトロポリタン・オペラのパルジファル、ニュルンベルクのマイスタージンガー、タンホイザー、ニーベルングの指輪など、シェンクによる演出作品はその多くがDVDで視聴可能である。シェンクは、2010年10月、ネトレプコが出演する『ドン・パスクワーレ』のリバイバル上演のためメトロポリタン・オペラに復帰した。また、2010年12月には、ウィーン国立歌劇場でばらの騎士のリバイバル上演を行った(アッシャー・フィッシュ指揮、エイドリアン・ピエツォンカ出演)。 映画作品
脚注
外部リンク
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