エロル伯爵
エロル伯爵(英語: Earl of Erroll)は、スコットランド貴族の伯爵位の一つである。1452年にヘイ氏族のウィリアム・ヘイが叙位されたのに始まる。 かつての国務大官の一つスコットランド大司馬職を世襲し続けている[1][2]。その歴史の古さから私設紋章官(Private Officer of Arms)を有する数少ない貴族であり、スレインズ紋章官補がその役割を担う[1]。 歴史スコットランドのヘイ氏族(Clan Hay)は、1160年頃の記録に初めて登場するスコット=ノルマン人の騎士Guillaume de la Hayeの子孫である[3]。 エロル伯爵家の先祖となるギルバート・ド・ラ・ヘイ(Gilbert de la Hay, 生年不詳-1333)は、キノール伯爵家の先祖であるウィリアム・ド・ル・ヘイの兄にあたる。ウィリアムにはスコットランド王アレグザンダー3世の了承のもと、弟から2つのカルケートの土地が譲られた[3]。 その子孫のウィリアム・ド・ラ・ヘイ(William de la Hay.生年不詳-1437)は、1428年のロード・オブ・パーラメントとバロンを区別する法律により、1429/30年3月以前にスコットランド貴族爵位のヘイ卿(Lord Hay)に叙せられた[4]。 その孫で2代ヘイ卿を継承したウィリアム・ヘイ(生年不詳-1462頃)は、1452年6月12日にスコットランド貴族爵位のエロル伯爵(Earl of Erroll)に叙位され、同月末にエロル伯領とスレインズ卿領を与えられた[5][2]。 その子孫である11代エロル伯ギルバート・ヘイ(1631-1674)は、清教徒革命(イングランド内戦)中王党派として行動し、王政復古後の1666年、スコットランド法に規定されるスコットランド貴族の特殊な制度である再交付(regrant)によって自ら爵位の継承者を決める権限を与えられ、1674年に三従兄弟[注釈 1]のジョン・ヘイとその男子相続人、もしくは女子相続人を継承者に指名している[6][2]。 これにより11代伯の死後、ジョン・ヘイが12代伯を継承。彼の死後はその息子チャールズ・ヘイ(c. 1677/1680-1717)が13代伯を継承したが、子供のない13代伯の死後、12代伯の娘メアリー(-1758)が14代伯を継承した。彼女にも子供はなかったため、彼女の死後はその妹マーガレットの娘アンと第4代キルマーノック伯爵ウィリアム・ボイドの間の子であるジェイムズ(1726–1778)が15代伯を継承した。彼の父である4代キルマーノック伯はジャコバイトに加担したことで大逆罪により処刑のうえ爵位剥奪となったのでキルマーノック伯位は継承されなかったが(父の保有していたキルマーノックの土地は継承した)、母方からエロル伯爵位を継承した形だった。継承に際して姓名をボイドからヘイに改めた[7][2]。 18代エロル伯ウィリアム・ヘイ(1801–1846)は、1831年6月17日に連合王国貴族のエア州におけるキルマーノックのキルマーノック男爵(Baron Kilmarnock, of Kilmarnock in the County of Ayr)に叙位された[8][2]。 22代エロル伯ジョスリン・ヴィクター・ヘイ(1901–1941)は、イギリス植民地ケニアで快楽主義的な生活を送っていたが、迷宮入り殺人事件「エロル事件」の被害者となったことで知られる[9][10]。 彼の死後、エロル伯位とヘイ卿位は娘のダイアナ(1926–1978)が継承したが[11]、男系男子に限定される連合王国貴族のキルマーノック男爵位は弟のギルバートに継承された(ギルバートはこれを機に姓名をボイドに改姓している[12])。 23代エロル女伯を継承したダイアナは、第11代準男爵サー・イアン・モンクリフと結婚した。その間の子マーリン・セレルド・ヴィクター・ギルバート・ヘイ(1948-)は、1978年に死去した母から第24代エロル伯位と第25代ヘイ卿位を、1985年に死去した父から第12代(モンクリフの)準男爵位を継承した。2021年現在の当主も彼である[2][13]。 現当主の保有爵位/準男爵位現当主マーリン・ヘイは以下の爵位/準男爵位を保有している[2][13]。
ヘイ卿 (1429年/1430年)
エロル伯爵 (1452年)
系図エロル伯爵ヘイ家系図
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |