エレオノーレ・マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
エレオノーレ・マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ(ドイツ語名:Eleonore Maria Josefa von Österreich, 1653年5月21日 - 1697年12月17日)は、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の次女で、ポーランド王ミハウの妃、のちロレーヌ公シャルル5世の妃。ポーランド語名はエレオノーラ・マリア・ユゼファ・ハブスブルザンカ(Eleonora Maria Józefa Habsburżanka)。フランス語名はエレオノール・マリー・ジョゼフ・ドートリッシュ(Eléonore Marie Josèphe d'Autriche)。 神聖ローマ皇帝フランツ1世の祖母にあたる。 生涯神聖ローマ皇帝フェルディナント3世と3人目の皇后エレオノーレの娘として、レーゲンスブルクで生まれた。母エレオノーレにとっては第1子である。 1670年、ポーランド王ミハウと結婚したが、同性愛者であったというミハウとの間には子供はなく、3年後に死別した。 1678年、ウィーナー・ノイシュタットでロレーヌ公シャルル5世と再婚し、6子をもうけた。
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