エルンスト・カッシーラー
エルンスト・カッシーラー(ドイツ語: Ernst Cassirer, 1874年7月28日 - 1945年4月13日)は、ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。新カント派に属し、“知識の現象学”を基礎にしながら、シンボル=象徴体系としての「文化」に関する壮大な哲学を展開した。 生涯シュレージエンのブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)でユダヤ系の家庭に生まれる。ベルリン大学で文学と哲学を学ぶ。マールブルク大学でコーエンやパウル・ナトルプの下で学ぶ。1899年に博士論文(『デカルト論』)をコーエンのもとに提出した。 1903年から、ベルリン大学の私講師(Privatdozent)を勤めながら、哲学、科学、理論的思考へと考察を集中させていった。1906年に『認識問題』で教授資格申請。審査にはヴィルヘルム・ディルタイとアロイス・リールがあたった。1907年には『認識問題』第2巻におけるカント解釈によりベルリン大学にポストを得た。この時期、『実体概念と関数概念』(1910年)を執筆する。 1919年に新設されたハンブルク大学の教授に就任。当地にあった「ヴァールブルク文化学図書館」に衝撃を受ける(カッシーラーは「この文庫は危険です。わたしはここを避けるか、あるいは何年もここに閉じこもらねばならないでしょう」と述べたと報告されている)。1923年には当時クロイツリンゲンの診療所で精神治療を受けていたアビ・ヴァールブルク本人を訪ねる。ヴァールブルク図書館を利用しながら神話論やルネサンス期の研究に取り組み、『神話的思考における概念形式』(1922年)や『言語と神話』(1925年)を発表しつつ、主著『シンボル形式の哲学』(全三巻、1923, 1925, 1929)をまとめあげた。学生にレオ・シュトラウスがおり、博士論文の指導をする。他ハンス・ライヘンバッハも生徒の一人だった。 1929年にハイデガーとのダヴォス討論を行なう。 ナチス政権樹立(1933年)により、イギリスへ移住、オックスフォード大学講師( - 1935年)となる。イギリス時代には、収集した資料を基礎に設立されたヴァールブルク研究所(ハンブルクから1934年に移設。ウォーバーグ研究所)の初代所長フリッツ・ザクスルらと交流した[1]。のちスウェーデンのヨーテボリ大学教授(~1941年)となるが、ナチスの勢力が拡大したためアメリカ合衆国へ移った。はじめハーヴァード大学に受け入れてもらう予定であったが、1930年前のベルリン大学勤務時代に一度ハーヴァード大学からの招聘を断っていたため採用とならなかった。そのため、まずイェール大学(~1943年)で教えたのちニューヨークのコロンビア大学に移った。スウェーデンに帰化しており、ドイツ・ユダヤ系スウェーデン市民としてニューヨークに在住、心臓発作により急逝した。ニュージャージー州パラマスのシダーパーク墓地に埋葬されている。 業績哲学史研究カッシーラーの学業は、新カント派(マールブルク学派)の影響下での哲学史研究に始まる。1899年に博士論文「数学的自然科学的認識のデカルトの批判」。続く1902年『ライプニッツ体系の科学的基礎』を執筆。新カント派の影響下で哲学史に取り組んだ。 認識論、科学史ベルリン時代に執筆された『認識問題』(1906-07)では中世思想から近代思想での認識論の問題を軸に論じ、『実体概念と関数概念』(1910)では近代的な科学の認識論的な転回として、実際に見ることの出来る、実体概念から、関数的な記述によってのみ捉えられる、関数概念への移行を分析した。これらの哲学史・思想史的な著作により、マールブルク学派とは一線を画していった。 シンボル形式の哲学ハンブルク時代、カッシーラーは中心概念である「シンボル形式」の研究を開始する(「精神科学の構築におけるシンボル形式の概念」1921/22年など)。主著『シンボル形式の哲学』(第一巻「言語」1923年、第二巻「神話的思考」1925年、第三巻「認識の現象学」1929年)へと結実させた。カント的な「理性の批判」を「文化の批判」へと転換させる試みである。直観でも概念でもなく、言語や神話・宗教、科学などの「シンボル形式」の分析によって、原初的な神話的思考から洗練された科学的思考までを発生的に結びつけ、人間精神の本性をその全体的な顕現の相より把握する。 人間文化の哲学晩年の亡命期には、アメリカの読者に向けて著した『人間』において、人文、社会科学を横断して独自の哲学的人間学を構築した。カッシーラーは“シンボリック・アニマル(象徴を操る動物)”として人間をとらえ、動物が本能や直接的な感覚認識や知覚によって世界を受け取るのに対して人間は意味を持つシンボル体系を作り、世界に関わっていく。シンボル体系は、リアリティ(実在性)の知覚を構造づけまた形を与え、またそれゆえに、例えば世界に実在しないユートピアを構想することもできるし、共有された文化形式を変えて行くことができる、とみなした。こうした理論基盤には、カント哲学の超越論的観念論がある。カントは現実の世界(actual world)を人間は完全に認識することはできないが、人間が世界や現実を認識するその仕方(形式)を変えることはできるとした。カッシーラーは人間の世界を、思考のシンボル形式によって構築されていると考えた。ここでいう思考には、言語、学問、科学、芸術における思考のみならず、一般の社会におけるコミュニケーションや個人的な考えや発見、表現などを含めた意味あいがある。 国家の神話1946年に、没後出版された『国家の神話』では、ナチスなどの全体主義的国家理論を批判的に考察し、プラトン、ダンテ、マキャヴェッリ、ゴビノー、カーライル、シェリング、ヘーゲルらの国家理論を検討した。カッシーラーは20世紀の全体主義体制を、運命の神話と非合理主義によりシンボル化されたものとした。『国家の神話』第一部「神話とは何か」では神話的思考が概観される。第二部「政治学説における神話にたいする闘争」では、「合理的な国家理論はギリシャ哲学に始まった」とし、歴史を記述するにあたり“伝説的なもの(ファビュラスなもの)”を排除しようとしたトゥキディデスを「神話的歴史観に対して初めて攻撃を加えた」とする。古代ギリシアにおける合理的国家論の前提になるのは、自然観(自然の研究)であり、ミレトス学派(タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス)にはなお神話的思考が認められるものの、「起源」(アルケー)の定義において新しい合理的思考が展開される契機となったとしている[2]。 補遺影響カッシーラーの思想は新カント派の射程に収まらないものを持ち、ドイツの哲学者ブルーメンベルクにも影響を与えている。またカッシーラーのシンボル哲学は、アメリカでスザンヌ・ランガーやネルソン・グッドマンによって発展され、文化人類学者のクリフォード・ギアツ、ケネス・バークなどにも影響を与えた。『実体概念と関数概念』における関数=機能概念の分析は社会学において構造機能主義を提唱したタルコット・パーソンズやニクラス・ルーマンらにも影響を与えた。 家族・親族
著作
日本語研究
脚注
外部リンク
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